モノクロ
「梢(こずえ)ちゃん、幼稚園に行き始めたんですね~」
「あぁ。この前お遊戯会があったんだけど、壮絶かわいかったな」
「あははっ! カメラマンパパしてたんでしょ?」
「最初はな。途中から、あまりのかわいさに撮るの忘れてたけど」
「それ駄目じゃないですか~っ」
「帰ってから若菜(わかな)にたっぷり怒られたよ」
「それはそうですよ!」
昼休みがあと10分ほどで終わってしまう頃、私と佐山さんは二人、おしゃべりをしながら会社に向かって戻っていた。
おいしいランチを食べて、佐山さんに恋愛相談をして。少しだけ気持ちがスッキリした気がする。
定食屋さんから出てからは佐山さんのプライベート話にすっかり変わっていた。
“若菜さん”は佐山さんの奥さん、そして、“梢ちゃん”は3歳になったばかりの佐山さんの娘ちゃんだ。
普段のクールな佐山さんからは想像しがたい溺愛パパっぷりの話は、すごくおもしろくてたくさん笑った。
会社のエントランスに入り、エレベーターホールに向かう。
そこにいた人物に、私は一瞬息をのんでしまった。
……紀村先輩。
「紀村。お疲れ」
「ん、あぁ、佐山か。お疲れー」
佐山さんの呼び掛けに振り向いた先輩は軽く笑みを浮かべ返事をした後、佐山さんの斜め後ろにいた私に気付き、ほんの少しだけ驚いたような表情を見せた。
その様子に、気まずいと思われてるかもしれない、と胸が小さく痛む。
でも、社会人としてのマナーくらいはちゃんと守らなきゃ……。
私は口を開き、挨拶をする。
「お疲れ様です」
「うん。佐々木さんもお疲れ様」
先輩は気まずさや私を避ける様子を見せずに、笑顔で挨拶してくれる。
そのことは嬉しかったし安心したけど……、「さきこ」じゃなくて「佐々木さん」呼びなんだ……と思ってしまった。
昼休み中とは言っても二人きりでいるわけじゃないし、ここは誰が通るかもわからない場所で、そう呼ばれるのは当たり前のこと。
頭ではそうわかっているのにショックだと思ってしまうのはきっと、先輩はこの先ずっと私を「さきこ」と呼んでくれないのかもしれない、という予感があるから。