殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 「何かあるの?」
そう言いながら近付いて、視線の先に目をやった。


翼の見ていたのは無縁仏の墓のようだった。


「コミネモミジのお寺は涅槃像だったけど、此処は何だか寂しいね」


「でも雪柳が見守ってくれている……」

翼はそう言いながら泣いていた。


「僕は今まで、この無縁仏のような存在だった。だけど今は違う。陽子が居る。お義母さんが居る。この雪柳のような暖かい、春のような……」


「ありがとう翼。そうね、お母さんは確かに春のような人だね」


「ねえ陽子、雪柳の花言葉って知ってる?」


「うん、確か花言葉は殊勝だったね。けなげで感心と言う意味だったかな?」


「もう一つの花言葉は愛嬌だったね。これはお義母さんだよね」

翼はそう言いながらもなお、雪柳の花を眺めながら泣いていた。
節子、純子、陽子。
春のような女性達に包まれながら生きていかれる幸せに酔いながら。


 八大龍王院今宮神社。
駒つなぎの欅が見える。


「凄いね、此処も」


「だろ?」


敷地内には入らず、西側の道路脇で手を合わせる。


「まさか、秩父のメイン通りから少し入った所にこんな静かな神社があったなんて……」

陽子は感慨深くこの大樹を見つめていた。


「陽子、それとコッチ」

翼は陽子の手を取り、南側に回った。


其処は龍神池だった。

ひっそりと静まり返った池に、斜めに噴き出す水。

そしてゆったり泳ぐ錦鯉。

池には鳥居に続く赤い橋がかかっていた。


「だから、あの橋を歩いたの?」

その言葉は……少し震えていた。

翼は陽子が、赤い橋に思い出があることを知らない。

でも、そっと手を繋いだ。


此処に来た本当にの目的。
それは龍神水を見るためだった。


孝がコーヒーのためにこだわっていると言う水の在りかを……


でも駒つなぎの欅からも、龍神池の傍にある赤い橋の先にも、それらしい物は確認出来なかったのだ。


「お祖父ちゃんの喪が開けないと鳥居は潜れないからあの巴橋を渡ろうと思ったんだ」

翼はそう言いながらも、ずっと龍神池に架かる橋の先を見つめていた。

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