殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 一時間後。
三峰神社のバス停から二人は乗車した。
途中で止まるのは、温泉施設と秩父湖。


その次の大輪停留所で、翔と陽子はバスを降りた。


三峰神社の表参道。
ロープウェイ大輪駅に続く鳥居。


(又どうにか脇をすり抜けなくちゃ)
陽子はそんなことばかり考えていた。


幾つかの土産物屋が軒を並べていた。
まだ営業している店もあった。

陽子の手を引いて歩き出す翔。
仕方なく後に続いて歩く陽子。


知人宅の横を通る。
友達のお母さんと目が合い思わず会釈した。

そんな陽子を翔は睨みつけた。


懐かしさよりも、重苦しさが陽子の気持ちを曇らせていた。




 谷にかかる赤い橋……


(あぁ……とうとうやって来てしまった)

言いようのない不安が陽子を襲っていた。


(きっと此処で怖い思いをしたんだわ。そうじゃないと……、そうじゃないと、この気持ちは説明出来ない)

赤い橋を見る度に、言い知れない不安がよぎる。

ミューズパークや鷺の巣に向かう巴川橋。

今宮神社の龍神の池にかかる橋。

それらを元々知っていた訳ではない。
でも恐怖心を抱いていたのは確かだった。




 翔は橋の上で、川を覗いていた。


「荒川か……。やっぱり深いな」


ゴツゴツした岩の横に青緑した荒川。


「ここから落ちたら面白いな」
そう言いながら陽子の手を引いた。


「落ちてくれないか?」
甘えるように言う翔。


子供の頃、この橋の上で何度泣いたことか。


陽子は恐怖で震えていた。


不意に、翔が陽子の腕を掴み欄干に体を引き寄せた。

ゾォーとした。

体中を悪寒が走る。
そして忌まわしい記憶に辿り着く。




 まだロープウェイ大輪駅が現役だった時、この橋の上は大勢の観光客で賑わっていた。


それは夏の事だった。


三峰神社近くのキャンプ場へ向かう人達の後ろを歩いていた時、悲劇は起きた。


前を行く人の背負ったリュックが、小さかった陽子の頭に当たり橋の欄干まで弾き飛ばされたのだった。

もう少しで荒川に転落する所だったのだ。

そんな恐ろしい記憶があったからこそ、陽子は此処が苦手だったのだ。




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