殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 でも陽子は気付いていなかった。

いや、翔さえも……

つい最近まで全く気付いていなかったのだ。


二人が出逢う遥か以前、翼は既にこの世の住民ではなかったという事実に……


もう……
生きて居なかったのだ。

陽子が生きている今……
その同じ時代の息吹を、翼は感じることさえ出来なかったのだ。


翔は自信を無くしていた。


時々自分が誰なのか判らなくなる。

暗闇の中で何時もさ迷っていたのだ。

翔の精神も翼同様にボロボロになっていたのだった。


翼はあの柿の事件の起きた日に、本当は死んでしまったのだった。


陽子が愛した翼は、翔だったのだ。

初デートでコミネモミジに感動したのも。

あ・い・し・て・る。
と書いた熱い心をたぎらせた指文字も。
みんな、みんな翔だったのだ。


翔はあの日以来、翼の魂を受け入れてしまったのだった。
最初は意識していた。
でも死んだと言う意識さえ欠落していた翼は、翔の部屋にある姿見によって甦ったのだった。


翔の二重人格の部分を自分の物にして、完全に成り代わっていたのだった。

だから翔は気付かずに……
その大半を翼として生きてしまったのだった。


翼と翔は一心同体ではなく、二心同体だったのだ。




 後頭部を強打した翼は、一旦は立ち上がったもののすぐに倒れた。

それを目撃した翔がすぐに駆けつけた。


でも……
翔の腕の中で翼は気を失ってしまったのだった。


それを死んだと勘違いした翔。

傍にあった大きな米の袋を覆い被せて、翼を隠したのだった。

母を庇うためだった。
でも、その母は自分の罪に気付かなかったのだ。
翔はそれにを知らず、心を悩ませたのだった。




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