殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 駅前で陽子がいきなり溜め息を吐いた。

翼は陽子が心配になり、顔色を伺った。


「ね。横瀬駅の方が楽でしょう?」
突然陽子が聞く。

翼は何の質問なのか解らず戸惑っていた。


「階段よ。横瀬駅には殆ど無いの」


「へー。知らなかった」

その返事に驚いて、陽子は翼の手を離していた。


「えっ!? えっ!? え、ええーー!?」

思わず後退りをする陽子。


「横瀬駅に行ったことも、降りたこともないの?」

不思議そうな顔つきで、陽子は翼を見つめていた。


「しょうがないだろ!!」

翼は思わず大声をあげた。


「だって……何時も自転車なんだから」
ボソッとつぶやく翼。


「ごめん……」
そう言いながら、陽子は翼をハグする。

翼の全身が又震えた。
陽子はそれを肌で感じながら、愛しい翼をハグし続けた。


「これで今日のデートは横瀬に決まり!!」

陽子は翼の手を引いて、切符売り場に向かった。




 陽子の手に二枚の切符。


「あれっ陽子……確か定期があったんじゃ……」
初めて“陽子”と呼び捨てにした翼。
思わず俯いた。

陽子のハートが再度揺さぶられる。


「いいの。記念だから」

でも陽子は何もなかったかのような振りをした。

翼は俯いたまま目だけ陽子に向けた。

陽子は、はにかんだような顔を翼に向けていた。

翼は大人だと思っていた陽子の可愛らしい仕草に心を乱していた。


(こんな素敵な人とデートなんだ)

翼は全身全霊で、恋に酔いしれていた。




 「あれっ。エスカレーターがあるよ。何時の間に出来たのだろう」

翼は階段横のエスカレーターを見上げた。


「う〜ん。もう十年位は経つかな? あれっ知らなかったの」
陽子が得意そうに言う。


「だって横瀬駅にも行ったことないもん」
翼も得意そうに答える。


「でも陽子。エスカレーターで行けば済むんじゃない?」
翼が笑った。

意識して呼んでみた翼。

でも当たり前のような振りをする陽子。


「だって翼に年寄りだって見られたくないもん」

陽子は俯きながら、上目遣いで翼を見つめた。


「年寄りって……一つでしょ? 確かに学年は二つ上のだけど」
翼は笑いながら、陽子をエスコートする真似をした。




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