殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 陽子が保温ポットからコーヒーを注ぐ。
翼は一瞬顔を曇らせた。


「コーヒー駄目だったんだよね? でもコレは大丈夫だと思うの。騙されたと思って飲んでみて」


恐る恐る口をキャップに近づける翼。
次の瞬間表情を変える。


「何コレ、苦くない!」


「陽子特製アメリカンコーヒー! 良かった。これなら飲めるのね?」

翼は大きく頷いた。


「翼のお父さんのカフェのコーヒーは本物のブルーマウンテンなの。ブルーマウンテンはレゲエ発祥地として有名なジャマイカ原産のコーヒー豆なの。貴重品なので物凄く高価らしいわ」


「だからみんな有り難かって飲んでいるって訳か?」

陽子は頷いた。


「ペーパーフィルターで入れてみたの。細口の薬缶で中心からそっと注ぐの」

そう言いながら、陽子も口を近づけ一口飲んでから言ってまっさた。


「アメリカンコーヒーだって、ただの味が薄いだけじゃないのよ。軽く焙煎したコーヒー豆を少な目に入れて抽出するから、翼のようにコーヒーが苦手な人でも比較的大丈夫なコーヒーが出来るのよ」


ちょっと自慢気な陽子。
でも目を伏せた。




 「本当はね。時間が経って酸化して、苦味が抑えられたのではないかな?」


「じゃあ、本当は失敗作だった?」

翼が皮肉ったように聞く。
陽子は思い切って頷いた。


「怪我の巧妙!」
陽子が小さくガッツポーズをとる。


「オイオイ」

翼は大笑いをしながら、陽子のサンドウィッチとコーヒーを口に運んだ。


「おいひい〜」

もごもごする口で
でも、どうしても言いたかった……

それは陽子に対する感謝と謝罪を表す、精一杯の気持ちから出た言葉だった。


「こんな心のこもったサンドウィッチ初めて食べたよ」

翼は泣いていた。
陽子の心遣いが嬉しくて。


「最高に美味しーい!」

翼の楽しそうな声が羊山公園に響いた。


「コーヒーはね熱いお湯で短期間に抽出すると、さっぱりだけど苦くなるの。少し冷ましたお湯でゆっくり注げば、甘味とコクのあるコーヒーになるの」

陽子の熱いコーヒー談義。
それはひとえに親子の確執を埋めようとする思いやりに溢れていた。




 目の前の街並みの向こうに赤い橋がある。


「あれがミューズパークに向かう所にある橋かな?」


「何時か行ってみる?」

翼が声を掛けると陽子は小さく頷いた。

でも、内心では震えていたのだった。



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