殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 翼も戸惑っていた。

自分のことを信頼して無防備な陽子。

本当は直ぐにでも陽子を抱きたかった。
抱き締めたかった。


でも翼は躊躇していた。

中途半端な自分をねたましく感じて……

陽子は子供の頃からの夢。
保育士の道を突き進んでいる。

でも自分は就職先さえ決めかねている。

本当は大学に進学して教師になりたかった。

でも言える訳がなかった。


翼はモヤモヤした気持ちのままで陽子を抱くことを恥だと思い出していた。


――ブオーー!!

その時SLの汽笛が鳴り響いた。

二人はびっくりして、窓を開けた。

目の前の線路をSLが通り過ぎる。

二人は思わず顔を見合わせて笑った。


(良かった……)

翼はSLに救われたと思った。

でも陽子はちょっぴり残念そうだった。


(うーん。SLのイケズ)

今短大では、方言ゴッコが流行っている。


(うん。今の私の気持ちにピッタンコ)

翼を見つめながら、陽子は照れくさそうに笑った。




 再び電車に乗った二人は秩父駅で降りて、秩父神社へ向かった。

秩父駅から秩父神社へと通じる道に溢れんばかりの人、人、人の波。


翼と陽子はその波にハマって身動きが取れない。

陽子ははぐれないように、翼の体にしがみ付く。

陽子の髪からシャンプーの良い香りが漂う。


実は……
陽子は本当は翼に抱いてほしかったのだ。
だからこっそりシャワーを浴びていたのだった。


翼は全身を震えさせながら、陽子の自分に対する愛に報いる術を探し始めていた。


(ああ、このままでいたい!)

でも、翼は陽子との一時に酔った。

身動き取れない人ごみの中で抱き締め合う。
お祭りならではの興奮が、二人により深い絆をもたらせていた。


それでも翼は、陽子の体を抱き締めたまま秩父神社へと必死に誘う。




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