殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 「やめろよ親父!」
翼が声を荒げる。

陽子はドキッとした。

優しい翼の男らしい部分に陽子の真髄が反応したからだった。


でも一瞬。
人が入れ替わったのかとも思えた。

陽子に初めて見せた翼の男意義。
目の前で自分の恋人に言い寄る父親を放ってはおけなかったのだろう。


翼は孝の後ろに回り強引に陽子から引き離した。

孝が怯んだ隙に翼は陽子の手を取り、神社の奥へ走り出した。

いや、正確には逃げ出したのだった。




 息を切らし、翼は片隅にへたり込んだ。

其処は奇しくも鎖に縛られた龍の斜め前にある、天照大神の御霊を祀っている祠のすぐ傍だった。

でも二人はそのことを知る由もなかった。


「ごめん陽子まさか陽子にまであんなことするなんて」
翼は体を震わせながら泣いていた。


「なんて人! 大嫌い! 翼には悪いけど、訴えたいよ」
陽子は感情をむき出して怒っていた。


「おじ様が言っていたわ。女なら誰でも手を出すって。娘が可愛いそうだって。八つ当たりにされる翼が可哀想だって」


「ごめん陽子。それでも僕の父親なんだ。生まれて来なければ良かったって何度思ったか!」

陽子は思わず背後から翼を抱き締めた。


「翼大好き! だから泣かないで」
陽子は翼をこれ以上傷つけたくないと思った。

何があっても守ってあげたいと思った。




 年末に降った雪の残る御神水。

改めて手をすすぐ二人。


二人は太陽神と知らずに祠に手を合わせた。


二人の行く末を何時までも見守って下さいとの願いを込めて。


それは結婚する意志を固めた、二人の最初の参拝だった。


でも翼は陽子によって、重大な事実を知らされた。

自分が隠し続けていた日高家の内部事情を勝が知っていたと言うことを。

それは、交際宣言をした日に気付いていた。

でも、陽子にも話していたかと思うと……


本当は陽子には知られなくなかったのだ。


『陽子さん、翼を頼むよ。わしはこいつが不憫でならないんだ。薫め、こんな優しい孫の何処が気に入らないんだ』
あの日確かに勝はそう言った。

翼自身がショックを受けたことも覚えている。
でも、翼にはそれが負担だった。

それを口実に、陽子に甘えてしまうであろう自分に気付いて……


でも翼は既にそうなっている真実を重く受け止めていた。




< 60 / 174 >

この作品をシェア

pagetop