殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 もう二度帰れないと思っていた。
自分自身も、今後ばかりはと諦めかけていた。

でも奇跡は舞い降りた。


翼と陽子が結婚するまで見届けたいと願う強い意志が働いたためだった。

クリスマスから年末年始に家族と過ごせたことだけで満足していた。
でも又欲が出てくる。
出来ればもう一度戻りたいと思っていたのだった。




 それはバレンタインデーのことだった。
退院では無いが、一時帰宅が許されたのだった。

まさに寝耳に水だった。

勝は看護士に何度も何度も確認していた。


夢にみていた。
もう一度帰れることを……

勝にはどうしても行きたい場所があったのだ。


それはあのコミネモミジの寺だった。

翼と陽子同様に、勝も亡き妻幸子(さちこ)と訪れていたのだった。




 急に決まった一時帰宅。
そのために忍も純子も迎えに行けない。
仕方なく、純子は陽子に連絡をとった。
陽子は通っている短大は卒業準備のために偶々午前中だけの授業だったのだ。


純子からの緊急連絡を受けて陽子は舞い上がった。

信頼してくれている。
そう感じたからだった。




 横瀬駅に着いた陽子は意気揚々と町役場に向かい、ステーションワゴンを忍から借り受けた。


こんなこともあるかも知れない。
そう思って練習していた甲斐がある。
陽子はちょっぴり浮かれていた。


あの成人式の日に、陽子の玉の輿発覚で勝にお礼を言い忘れた。

自動車免許があるから、此処に居られる。
勝の役に立てられる。
浮かれている訳ではないが、陽子にはそれが嬉しくてたまらなかった。




 「実は、陽子さんに頼みがあるんだ。聞いてくれるかな?」

看護士に聞こえないように耳打ちをする勝。

その途端、陽子の目が輝いた。


勝の頼み。
それはコミネモミジを見ることだったのだ。


(翼があの日のことを話したのかな?)

そう思った。
でも真相は聞けなかった。




 ステーションワゴンから車椅子を取り出し、勝の座席に横付けした。
まずしっかりとロックをする。
少しずつ勝を移動させ、クッションの上に乗せた。


膝掛けや使い捨てカイロなどで防寒対策を施した後、ロックを外す。


「此処で良いよ」
そう勝は言った。
勝の視線の先に目をやると、塀の屋根越しにコミネモミジの上部が見える。


葉っぱがない分、その雄々しさが際立っていた。




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