殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
「本当にごめんね。実は私初めてじゃないの。子供の頃お父さんと武甲山に登山した時にこの駅に降りたの」
「……」
陽子は驚いて、声が出なかった。
「だから、あの姿が悲しくて、悔しくて」
陽子はまだ黙っていた。
でも、その両手は友人の体へ伸びていた。
陽子は思いっきり抱き締めた。
陽子でさえいたたまれなくなった武甲山の崩れ行く姿。
久しぶり訪れた友人にはもっと辛いはずだった。
実は友人の父親は今年亡くなったのだ。
秩父詣では、その父親との思い出の地を見つめる旅でもあったのだ。
陽子が生活の糧と言ったのには深い意味があった。
それは秩父が抱える貧困の歴史だった。
明治十七年十一月一日。
生糸価格の暴落に端を発し、一斉蜂起した秩父事件。
それは高利貸しの横暴や政府への不満を募らせた結果だった。
秩父を語る上で、この事件は欠かせない。
貧困に喘いでもがき苦しみ、遂に爆発した人々。
舞台となったのは手作りロケット・龍勢で知られる吉田地方。
秩父地方は絹織物の産地だった。
生糸価格の下落はそのまま生活苦に繋がってしまったのだった。
そんな農家の救世主になったのが、石灰岩を採取するセメント産業だったのだ。
武甲山の恩恵を受けながら秩父は発展して行ったのだった。
秩父事件の首謀者の一人は欠席裁判で死刑が確定していたが逃走した。
まず武甲山に身を隠しで、その後に北海道に逃げて暮らしたと言う。
当時の武甲山がどんな姿だったのか陽子は知らない。
でも、今より豊かだったはずだ。
生活の糧だと割り切れば済む問題ではない。
それは陽子自身も気付いてはいた。
大正十二年。
石灰岩を採掘してセメントにする工場が設立された。
これにより秩父地方は豊かになった。
でもそれによって、武甲山の自然は失われて行ったのだった。
武甲山標高は、頂上付近の採掘が行われたために千三百三十六メートルから千三百四メートルになった。
日本屈指の石灰岩の大鉱床は、秩父地方の人達に深い傷を与えながら、今も豊かな繁栄をもたらせている。
それでも陽子は、武甲山の痛々しい姿を心に刻みつけながら暮らしている。
札所二十七番の持つ護国観音は昭和十一年にコンクリートで製造されたと言われている。
その観音様は、山の上で秩父の人々を見守り続けている。
「……」
陽子は驚いて、声が出なかった。
「だから、あの姿が悲しくて、悔しくて」
陽子はまだ黙っていた。
でも、その両手は友人の体へ伸びていた。
陽子は思いっきり抱き締めた。
陽子でさえいたたまれなくなった武甲山の崩れ行く姿。
久しぶり訪れた友人にはもっと辛いはずだった。
実は友人の父親は今年亡くなったのだ。
秩父詣では、その父親との思い出の地を見つめる旅でもあったのだ。
陽子が生活の糧と言ったのには深い意味があった。
それは秩父が抱える貧困の歴史だった。
明治十七年十一月一日。
生糸価格の暴落に端を発し、一斉蜂起した秩父事件。
それは高利貸しの横暴や政府への不満を募らせた結果だった。
秩父を語る上で、この事件は欠かせない。
貧困に喘いでもがき苦しみ、遂に爆発した人々。
舞台となったのは手作りロケット・龍勢で知られる吉田地方。
秩父地方は絹織物の産地だった。
生糸価格の下落はそのまま生活苦に繋がってしまったのだった。
そんな農家の救世主になったのが、石灰岩を採取するセメント産業だったのだ。
武甲山の恩恵を受けながら秩父は発展して行ったのだった。
秩父事件の首謀者の一人は欠席裁判で死刑が確定していたが逃走した。
まず武甲山に身を隠しで、その後に北海道に逃げて暮らしたと言う。
当時の武甲山がどんな姿だったのか陽子は知らない。
でも、今より豊かだったはずだ。
生活の糧だと割り切れば済む問題ではない。
それは陽子自身も気付いてはいた。
大正十二年。
石灰岩を採掘してセメントにする工場が設立された。
これにより秩父地方は豊かになった。
でもそれによって、武甲山の自然は失われて行ったのだった。
武甲山標高は、頂上付近の採掘が行われたために千三百三十六メートルから千三百四メートルになった。
日本屈指の石灰岩の大鉱床は、秩父地方の人達に深い傷を与えながら、今も豊かな繁栄をもたらせている。
それでも陽子は、武甲山の痛々しい姿を心に刻みつけながら暮らしている。
札所二十七番の持つ護国観音は昭和十一年にコンクリートで製造されたと言われている。
その観音様は、山の上で秩父の人々を見守り続けている。