君に愛の歌を、僕に自虐の歌詞を
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久々に父親の顔を見た。
見た、といってもテレビの中である。
いつの間にやらどこぞの大学教授になっていた彼は、中年男らしくない白髪頭に灰色のスーツを着て、朝のワイドショーでコメンテーターとして出演していた。
毎月毎月、私の銀行口座にバカみたいな額の金を振り込んでるのが、まさにこいつである。
そんな父親は、イジメが原因で自殺したという中学生のニュースに対し、
「この中学生のSOSに気付けなかった、周りの大人の責任でもありますよね」
などと宣っていた。
よく言えたものだ。 私がイジメにあった時は、気付くどころか夫婦揃って家にすら帰って来なかったくせに。
ギターを爪弾きながらそれを見ていた私は、鼻で笑うしか出来なかった。
勉強して学者か何かになって(ぶっちゃけ、どんな仕事をしているのか今の今までよく解ってなかった)、自分と同じような勉強の虫と結婚して。 産んだ子供がこのザマだ。
コイツは教育の“き”の字も語る権利も無い。
だというのに、それを知ってるのは今、私だけだと言っても過言ではない。 テレビを見てる人間や今現在彼の周辺に居る人間は、彼を立派な人間だと思って疑わないのだろう。
「誰か、アイツを殺してくれないかなぁ」
願わくば、テレビの生放送中に乗り込んで、あの頭をガツンと殴って失神させた上で、胸を滅多刺しする方向で。
アイツは確かに血の繋がった父親だし、アイツの嫁も私の母親だ。
しかしどんなに血が繋がっていようとも、アイツらが私にした“世話”は金銭の工面だけである。 親を名乗るのも烏滸がましい。 彼等は私が彼等にとって都合の悪い言動をしない限りは、金を出し続けるだろう。
それくらい別に困らんだろう、どうせ腐る程あるんだから。 ――――そして私は多分、将来大人になっても、親の脛をかじる事に何にも感じないだろう。 そこまで出来た人間ではない。 むしろ出来損ないだ。
悲しいかな、私もここは彼らを「愛している」と言いたいのだが、――――残念ながら愛していない。 そもそも会話もほとんどしなかったし、私の中では他人同然の存在なのだ。
ただ私を産んだ人。 ただ血が繋がった人。 ただお金をくれる人。 私は、くれる物ならとりあえず有難く頂くだけの人。
そして恐らくは、――――誰からも必要とされない人。
「草野さんは、娘さんとどういったコミュニケーションをとっているのですか?」
父親の隣に座るベテランの男性アナウンサーが質問する。 ある意味、「娘」という言葉は彼にはNGワードだろうが、アナウンサーがそんな事まで知るわけが無い。
「仕事が忙しいので、そう毎日は会えないのですが、――――週に二回は、一緒に夕食を食べながら話してますね」
なんとまあ、素晴らしい嘘吐き野郎だ。
週に二回どころか10年近く会ってないぞ。
あまりの馬鹿らしさに、私は腹を立たしいを通り越して面白くなり、声を上げて笑った。 笑い続けた。
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