君に愛の歌を、僕に自虐の歌詞を
カッターを持ち上げると、刃を全部繰り出した。 そこで誰かが止めろと言ったような気がしたが、無視した。
左の手首に刃を当てると右に引いた。
当たり前だが、肌が切れた。
予想外に切れた。
痛くなかった。
切った直後は深く裂けた皮膚の内部が見えたが、すぐにそこから赤黒い血液が溢れてきた。 面白い位に出血した。 映画か何かみたいに流れ出した血は、数秒で足元に血だまりを作った。
多分、私は笑ったかも知れない。
もしくは、泣いたかも知れない。
いや、実際は何の反応も出来なかった。
身体の中でははちきれそうなくらいに「怖い」や「悲しい」や「助けて」がせめぎ合っていたのに、そんな状態になっても外に表せなかった。
自分が傷付いていたと、その時初めて解った。
やがて私は誰かに後ろから羽交い締めにされ、保健室に運ばれた。 最終的に救急車で病院に連れて行かれ、治療後に家政婦が迎えに来て帰宅した。
両親は忙しかったそうで、私から電話した。 「お久しぶりです」で始まり、状況説明と「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」を挟み、「宜しく御願い致します」で通話が終わった。
両親のお陰で大事にはならなかったが学校は退学になり、私は家を出て両親が用意したマンションに引っ越して一人暮らしをすることになった。 だからといって完全に親離れをすることはなく、寧ろ前よりも依存する形になっている。 家賃も光熱費も何もかもが両親の支払いな上、毎月馬鹿みたいな額の小遣いまで頂いているのだ。
その依存生活は今日まで続き、恐らくまだまだ続くのだろう。
退学当時16歳だった私は、もうすぐ18歳になる。
二年だ。
二年の間何をしていたかというと、ほぼ引きこもっていた。 近所に商店街があるので、何週間に一度くらいそこの中にあるスーパーに行き、大量に食材を買ってはいたが、それ以外は外出しなかった。 引っ越したばかりの時期には近所を歩いて回ったりしたが、それも段々と億劫になった。
生活費は全て両親が知らないうちに払っているのでお金の心配をしなくても良かったし、誰も注意をしてくれる人も居なかったので、私が引きこもっても誰も気付かなかった。
家中のカーテンは昼夜問わずに常に閉め切ったいて真っ暗な中、私は二年という時間を何をして過ごしたのか覚えていない。 覚えるまでもなかったのだ。 そんな価値も無い無駄な時間だった。
テレビやパソコンには毛布やタオルを被せて、外との干渉は極力避けていた。
となると、本を読むしか出来なかったわけだ。 文章を書くとか、絵を描く等の芸術活動は苦手だったのでしなかったが、小説はこよなく愛している。 自分の蔵書はおよそ五百冊あるので、二年間を潰すには十分だったかも知れない。
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