君に愛の歌を、僕に自虐の歌詞を
鋭い声が遮った。
全身に針を刺されたようにチクチクとした。 声を聞いただけなのに、物凄く怖くなった。
「歌うのやめて」
その人はゆっくりと私の前まで歩いてきた。 気だるさがよくわかる摺り足だった。
驚いたまま固まる私を、真正面から無表情で見ながら、その人は私から目を離さずにジーンズのポケットを探った。 私もその目を見ていた。 真っ暗だった。
その人は尻のポケットから二つ折りの財布を取り出すと、一万円札を三枚、取り出した。
「ほら」
三枚とも地面に投げ出した。 一枚は私の足元にあるギターケースの中に落ち、残りの二枚はタイル張りの地面にヒラヒラと落ちた。 呆気にとられたまま、その一万円札を見つめる私に、その人は更に冷たい口調で言葉を浴びせた。
「これあげるから、二度と俺の近くで歌わないで。
――――腹立つんだよお前」
くそったれ、と吐き捨てると、その人は踵を返した。
それを追い掛けるようにして、オジサンが走ってカフェから出てきた。
「俊太郎ぉぉぉ!」
年の割には(というのは少し失礼かも知れないが)機敏な動きで走ってその人に追いつき、「おりゃっ!」という声と共にジャンプして後ろ頭をひっぱたいた。
「いてえ」
全然痛そうではない口調だ。 オジサンは怒り浸透といった様子で、再びその人の頭を平手打ちした。
「お前なあ! 謝れ!
つぐみちゃんに謝ったあと切腹しろ!」
「自分で自分の腹なんぞ切ってたまるかよ。 それに切腹は1873年に廃止した制度だぞ」
「知るかっ!」
「めちゃくちゃだよ……」
困ったように頭を抱えたその人を無視して、オジサンが私の方を見て「ごめんね! つぐみちゃん、本当にごめん!」と、顔をくしゃくしゃにして言った。 両手を合わせてこちらに歩み寄ってくる。
オジサンが私の方に向いた隙に、その人は早足で去って行った。
「ウチの息子が失礼な事言ってごめん!」
「………息子?」
「うん、息子!」
足元の一万円札。
諭吉くんが三人分。
財布からスッと出した。
普通、こんな所で三万も出すか?
いや、“出す”というよりは“捨てる”という表現の方が的確かも知れない。
三万円は、大人子供問わず、世間一般からしたら大金である。
それを簡単に“捨てる”事ができるのは、よほどの金持ちか高収入の人間である。
そりゃそうだ、と私は呟いた。
オジサンが「息子だ」と言うあの人は、簡単に三万円を無駄にできる。
だってあの人は、私が憧れる、
――――“彼”だった。
。