君に愛の歌を、僕に自虐の歌詞を




その人物が誰かは直ぐに解った。

神田も解ったのか、「おわぁ……っ」と、まるで神が地上に光臨するのを目撃したかのような声を出した。


「…………っ」


舞洲はその姿に驚いて、言葉もなくただ突っ立っている。 後ろ姿しか見えないが、多分物凄く面白い顔をしてると思う。


「“なんでここに居んのよ!”って顔してるね。 ほら見て、私は見学者でーす」


首に下げた“校内見学中”の札を持ち上げ、淡々とした口調でそう言う人物は、間違いなく草野さんだった。


草野さんは状況を把握しているのか、冷ややかな目で舞洲を見ていた。 彼女の登場で教室内の時間が止まった。 このクラスは理数クラスで、学年で一クラスしかない。 つまり、彼女が在学中の頃から今まで、クラスの生徒はほとんど変わって居ない。 だから皆彼女の登場に驚き、緊張した。


「化粧濃いよねアンタ。 そこまでくると、なんか汚いよ」

「う、うるさい! ――――負け犬!」


一番に思い付いた言葉を絞り出し、舞洲は勇気を出して草野さんに一歩詰め寄った。

そう、本当に「勇気を出して」詰め寄ったとしか思えないのだ。 舞洲だって草野さんが起こしたあの事件を覚えているし、何より久々に見てかなりの迫力だ。 彼女の冷たい眼差しや声に、舞洲から少しずつ生気が抜けていくのがよく解った。

草野さんは片方の眉を吊り上げ、「“負け犬”?」不思議そうに繰り返した。




「舞洲、アンタ、――いつ勝ったの?」




舞洲の肩が震えた。
さっき僕が言った時とは違って、草野さんの言葉はちゃんと舞洲に届いていた。


「お仲間いっぱい連れて、弱そうな奴イジメて、それで勝った事になるの?
 一人で正面からケンカ売って、正々堂々と戦いなさいよ。 それで勝つのが正しいの」


草野さんの口調は穏やかで、大人が子供に諭すようだった。


「私はアンタに負けた覚えは無い。
 ――というか、アンタは私の相手にもならない」


いいぞ、凄いぞと、僕は心の中でガッツポーズした。 草野さんは凄く格好良かった。 僕と神田の周りに集まっていた男子達からも、感嘆の息が漏れる。


「ついでに、虚栄心っていうのは“自分を実力以上に見せたがる心”という意味」


そう付け加えた後、草野さんは立ち尽くす舞洲の脇をすり抜けて教室内に入り、僕の居る所に向かって「おーい」と呼び掛けた。

如何せんそこには男子が群がっているわけで、「誰? 俺?」そこに居た男子のほとんどが、有り得ない期待に満ちた顔で辺りを見回した。


そんな男子達の反応に誇らしい気持ちになりながら、僕はゆっくりと椅子から立ち上がった。



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