君に愛の歌を、僕に自虐の歌詞を





「ごっ、ごめんなさい!」


そう言い残して走り去った女の子の後ろ姿を見ながら、僕は安心して溜め息を吐いた。


しかし、その安心も直ぐに打ち消された。









「…………手はちゃんと洗ったんでしょうね?」





「うわ……」


女子トイレの扉から顔を覗かせた少女が、疑わしげな視線を僕に向けていた。


「えっと、たしか………“つぐみちゃん”?」

「あら、名前覚えてくれてたんだ」


“つぐみちゃん”は、トイレの扉からスルリと抜け出すと、壁に背中を付けて横歩きしながら、気持ち悪そうな目で僕の右手を睨んでいた。


「用足した後じゃなくて、今から足しに行くだけだから」

「良かった。 あの女の子の手に、自分の大事な所を触って洗いもしないままの汚らしい手で触れたのかと思いました」

「…………」


今日は一段と毒舌なようで。
何を言うのかは決めてなかったが、僕は口を開いた。


「あのさ――――、」

「早くトイレ行けばいいじゃないすか。 ここで漏らしたら、一生人前で真面目な唄歌えなくなりますよ。
 ――――きっとネットの掲示板とかに書き込まれて、尾鰭に背鰭が付いて噂が一人歩きしちゃいます」

「うるさいな、いきますよ」

「はいさよなら」


ニヤニヤと下世話な笑みを浮かべる“つぐみちゃん”に背を向け、足早にトイレに駆け込んだ。





トイレから出た後、メンバーの待つテーブル席に戻ると、既に鹿島の頼んだカレーライスが来ていた。


「おう俊太郎、ニンジン食って」


オレンジ色の野菜をスプーンに乗せ、こちらに向ける馬鹿野郎からそれを奪い、無理矢理奴の口に突っ込んでやった。 諦めてニンジンを咀嚼する鹿島の顔は、かなり不快そうだった。 そんなにニンジン嫌いかよ。

そんな鹿島を無視して、周囲を見回した。


「猫っつっても獣だね」

「可愛かったじゃん」

「でもさ、見てよコレ。 引っかかれた」


そして探していた姿を見つけた。 何と会話も聞こえるくらいの近さ、――――っていうか隣の席だった。

“つぐみちゃん”は、(僕が言うのもおかしいが)パッとしない感じの少年と向かい合ってテーブル席に座っていた。 先ほど僕を睨んでいた時とは違って、愛しむような微笑みを浮かべていた。


「函南くん、注文したケーキを奪われてたもんね」

「っていうか何で俺だけ……? 草野さんだって同じテーブルに居たのに」

「函南くんが大好きだったんじゃない?」

「違うだろ。 絶対憎まれてるし」

「ふふふ」


僕の座るソファと背中合わせのソファにパッとしない少年が座り、“つぐみちゃん”がその向かい側に座っている。 つまり、振り返った僕とバッチリ目が合っている。 互いに存在を確認しあったわけだ。


今自分がどういう顔をしてるのか解らないが、きっとかなり面白い顔だろう。 僕の方へ目線を向けた彼女が、一瞬、からかうような表情になった。 だが恐らく、少年はそれに気付かなかっただろう。 こういう僅かな表情の変化は、真っ直ぐに目を合わせた人間にしか伝わらないものだ。




「俊太郎?」


振り返ったまま動かない僕の背に、藤川が声を掛ける。


「何? 知り合い?」

「…………別に。 たまに顔を見掛けるくらい」



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