いつか、きみに、ホットケーキ
1. 失恋からの・・・
「ほら、出来た。」
キツネ色をしたホットケーキの上でバターがとろりと溶けて滑っている。湖山は白い皿を受けとり、カウンターの上で半分に、また半分にちぎって、一口かじりつく。まだ寝癖のついた髪が朝日に当たって柔らかい茶色に透けている。
うまいな。
家族以外の誰かが、自分の為に焼いてくれたホットケーキを、いつか食べることがあるんだろうか、と思う。菅生さんのホットケーキは食べ損ねたけれど、いつか・・・。泣きたいけど泣かない。もう39歳だし。
失恋したなあ、ちゃんと、失恋した。やっぱり恋だったなあ、と思う。恋に恋した、ということなのかもしれなくても。
食器棚に寄りかかって湖山を見守っていた大沢が身体を起こして湖山に手を伸ばすと、大きな手で湖山の頭を撫でた。少し長めの前髪が額に掛かって逆光になっているので湖山からは表情が見えない。紺色のVネックのセーターが大沢が手を挙げたときに少し首元でずれると男性らしい首筋があらわになる。
「ね、湖山さん。また、いい出会いがありますよ、きっと。」
そうね、また、次の出会いがある。家族以外の誰かが自分の為に焼いてくれたホットケーキを、いつか食べてやろう。もしかしたら自分が焼いてやってもいい。
(ん?あれ?)
と一瞬何かが引っかかる。ホットケーキの一口が思いのほか大きかったのか、胸に詰まったような気がする。
大沢が二枚目のホットケーキを焼いている。フライパンを睨みつけている。その顔は、暗室で印画紙を薬品につけている時の顔だと思う。こいつは意外と負けず嫌いだ。出来ると思っていたことが出来ないと分かるといやにムキになるところがある。湖山は二切れ目のホットケーキに齧りつく。そして、大沢は割と研究熱心だよな、とも思う。じゃなければ湖山のアシスタントをこれほど上手にできるわけもない。そんなことを改めて思う。
視線に気付いたのか、ホットケーキを睨みつけていた大沢が一瞬目を離して湖山の方を見る。何?という顔をする。
「うまいよ」
湖山は言う。大沢はホットケーキをひっくり返しながら今度はこちらを見ないでにっこりする。
「まあね。」
と言った口元がとても得意げだ。
ひっくり返し終わった後、湖山を見てもう一度笑う。
湖山は二切れ目の最後の一口を口に入れた。
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