いつか、きみに、ホットケーキ
7. 個展最終日の片付け

「機嫌、イイッすねえ?」
「うん。」
「いい事があった?」
「うん。」
「何?」
「菅生さんからメールが来た!」
「・・・。友達でいましょう、って言われたんじゃないの?」
「そうだよ。メールでも念を押された」
「諦めてないってことですね?」
「友達から始まる恋ってのもあるでしょ?」
「だって結婚してるんでしょ?」
「いや、してなかった。子どもさんもいると思ってたんだけど、弟さんのお嬢さんなんだって。」
「え?そうなの?」
「うん。だからまだ希望はあるんだな」
「そんなにハッキリ友達でいましょ、って言う人がこの先恋愛感情を抱いてくれるとは考えにくいけどな。」
「なんでよ?分からないでしょうよ、男と女の事は。」
「まぁ、そうですね・・・。で・・・?デートでもするの?」
「だから、デートじゃない、って念を押されたの。昼飯一緒に食べに行く約束した。」
「ふぅん。まぁ、まずは第一歩?」
「うん!いぇい、なんか、向いてきた、女運。」
「そうかな?」
「なんだよ?」

パネルを下ろしてビスを外す。作業していた大沢が手を止めて湖山を振り向く。ドライバーが隠れるくらい大きな手、反対の手にビスを握り締めている。ビスを持った手を湖山の方に差し出し、少し首をかしげた。湖山は反射的に手を差し出してビスを受け取る。

大沢は少し微笑んでまた壁を向く。そのほんの一瞬の微笑みがなぜか湖山の胸にひっかっかった。「大沢?」と喉まででかかって飲み込む。

大きな背中が湖山を拒否するように作業を続けていく。パネルを下ろし、ビスを外す。受け取り損ねて落としたビスや、パネルを置く場所を確認するときに、少し下を向く大沢を湖山は少し見守って、前髪に隠れてしまうその表情を覗き込みたくなる気持ちを抑えた。

湖山は小さな溜息をひとつついて、外したパネルを一枚一枚拾い、ダンボールに順に入れていく。パネルを止めていた金具を小さなクリップケースにカシャリカシャリと入れる音が響く。菅生さんに渡す2枚のパネルはを別の箱に入れる。それから梅林のパネルをまじまじと見つめる。これを見ていた前の彼女の後ろ姿や、結婚するの、と言った瞬間の顔を思い出してみる。

結婚、か。

受付回りの細かいものを片付けながらぼんやりと彼女より前に付き合った女性のことも思い出した。あの人もあの人ももう結婚したのだろうか。ぼんやりとそんなことを思いながら、ノートやペン、クリップ、ホチキス、と細かいものをペンケースやら箱やらに片付けている手がふと、止まる。

大沢は無言に機械的に金具を次々に外している。さっきまで湖山の想いの丈があったその壁が今は真っ白く何もない。大沢と大沢の影が移動しながら、湖山が抱き続けた幻を一枚、一枚、その止め具もろともにはがしていくのを湖山は見つめた。

湖山の視線を感じたのか、大沢が急にこちらを振り向く。湖山は思いがけず振り向いた大沢から目をそらすことができなかった。

「終わりそうだな・・・?」
他に言う事がなくてそんなことを言う。

「そうですね。あと2枚で終わり。」
そうだ、大沢はたまにこんな風に微笑む。少し困ったような顔。いつも元気が良い大沢が垣間見せる意外な一面。

何もなくなるととても広く見えるギャラリーの真ん中に段ボール箱が置かれている。湖山の2年半とそれを支え続けたもの、ダンボールの幾箱かに収められてしまう程の。

大沢と湖山が佇むその空間は、いま白昼夢から醒めて、蛍光灯の下で見るといやに現実的で、それでいて、どこか遠くの星に来た宇宙船の船室のように都会の夜に浮いているようだった。
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