真夜中に口笛が聞こえる
「これを見て下さい」

 白河はうつ伏せになった人間の背中を、足で踏み付ける。

 衣服は付けてはいない。

 この部屋にまだ誰かいたのだ。

「宮坂という男の死体ですよ」

 片側の目玉が飛び出している。左目だった。頭部の窪みのから垂れた筋のお陰で、辛うじて繋がっている。

「宮坂?」

 妻の言っていた巡査なのだろうか、と信一郎は思った。

 白河の言う通り、この男の体は、先程の芋虫とは違い、全く動いてはいなかった。この男は亡骸を残し、何処かへと旅だったのだ。

 殺害された死体を見たのは初めてだった。信一郎は混乱して、頭の整理がつかなくなっている。

 宮坂の背中からは、立派なバラが数本、生えている。

「ワイルド・レドリックですよ。そう言えば聞きましたよ。美佳ちゃんが殺したそうですね」

 部屋の隅には、人がすっぽりと入れるぐらいの、大きな瓶が二つあった。

 蓋を開け、白河はお玉で中の液体を掻き混ぜる。

 甘い香りが漂う。

「植物はただ、黙って痛みに耐えている。……そんなこと、知った事ではないと、あなた方は仰るのでしょうね」

 一つは苔のような濃い緑色のどろどろとした液体、そしてもう一つはサラサラとした卵黄のような黄色の液体。

「しかし、本当にそうなのか? それで良いのでしょうか?」

 白河はそのうち緑の液体を溢さないように、唇を尖らし、慎重に掬い上げると、流暢に話を続ける。

「皮膚をこの緑色の薬で腐らせて、次にこの黄色い薬で土壌化するんです。私がね、編み出したんです。人との共存を考えてね」

 男の腕に緑色の薬液を垂らすと、見る見るうちに皮膚がただれ、腐っていく。

 生暖かい空気が産まれる。

 次に、白河は黄色の液体を掬い上げる。緑の液体とは違い、おたまに半分ほどだ。

「本当は一週間ほど待つのですが、今日は貴方というお客さまがいるので」

 黄色い薬液を、その上に垂らす。まるで料理でも作っているかのようだ。


 ブクブクと泡がたち、先ほどの甘い香りとは打って変わり、強烈な刺激臭が込み上げる。信一郎は胃の中のもの全部、吐き出しそうになった。

 部屋はその臭いで充満し、白河の笑い声だけが透き通るように聞こえた。
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