惚れられても応えられねーんだよ



 トントンと廊下を歩く音が聞こえる。

 あれ……今、朝だっけ……?

「よいしょっと」

 岬の声に気付き、私はようやく抱きかかえられていることに気付く。

慌てて体勢を整えようとしたが、眩暈と吐き気に襲われ、目を閉じた。とても、自分で歩くとは言いだせない。

私は、楽になろうとそちらに意識を集中させた。

「新堂さん」

 岬が足を止めたと同時に新堂を呼ぶ声が聞こえた。

 すぐ側に新堂がいることは、タバコの匂いで分かる。

「雪乃のこと、どう思ってるんですか?」

岬が何を言いたいのかは全く分からないが、

「部下だ」

 新堂は即答した。

「上司は部下を見捨てるんですか?」

 微かに、思い出す。そう、眩暈がしながらも聞こえていた声は「そんなのほうっておけ」。

「俺たちはな、いつ何時今生の別れとなるかもしれない中で仕事してるんだ。俺だって、お前を信じて背中を預けてる。だが、お前がよそ見してると、危ねーんだよ」

「アンタの背中が危ねーってんですか、その腐った背中が」

「俺だけじゃねーよ。他の部下もみんなだ。主任のお前が女1人に気を取られててどうする? 今回はバカな単独テロの爆弾魔だったとはいえ、あれが大勢なら、共倒れだぞ」

「俺は、今日の話をしてるんですよ。仮説の話をしてるんじゃねェ」

 私は、静かに自分の服の裾を掴んで口を結んだ。喉の奥が痛い。

「頭冷やせ、主席で入った切れ者が。剣道、筆記、実技において右に出る者なしの出世頭が。プライド持て、プライド」

 そのまま新堂は先へ進んでいってしまう。

 私は流れる涙を止めることができず、岬の胸にすり寄った。

「私……ナイフ持ったんです」

 岬にだけ聞こえればいいと、少しだけ口を開いた。なのに、足音が止まる。新堂が振り返ったのが気配で分かった。

「けど、怖くて何もできなかった……朝、稽古したのに」

「…………」

 岬は何も言わない。その代わりに新堂は

「無駄に振り上げて的になるよりはマシだ。何もできねぇんなら、引っ込んどきゃいい」

 それだけ言うと、また先に進んで行ってしまう。

「…………」

 申し訳ない気持ちが胸いっぱいに広がり、涙が、すーっと流れて落ちた。

 岬が何か言うかなと思った。
 
 だけど、声は降ってこない。

 その代わりに、肩を抱く手にぎゅっと力が入った。痛いくらいにその、強い想いが伝わって、余計胸が痛んだ。

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