惚れられても応えられねーんだよ

 言い過ぎた。それは分かってる。

 でも、あまりにも理不尽でカッとなった。

 結婚の覚悟決めてるから携帯買って、総悟を安心させてーんじゃねーのかよ!?

 そう思うだろ、普通……。

 雪乃は黙って布団を持ったまま部屋を出たきりだ。

 そして、総悟の部屋に布団だけ戻して、どこかへ消えた。

 靴がねぇから、外に出たのは間違いねぇ。

 くそ……だから女は面倒くせぇ。

 俺は夜の町を部屋着で駆け回る。

 アイツに土地勘はほとんどねぇ。 

 ってことは、なんでも屋にまた戻ったか?

 とりあえず、なんでも屋の自宅の方向へ向かおう。無事に着いてりゃそれでいいんだがな……。

「イタっ……」

「お、お前、サツんトコの女じゃねーか」

 路地から声が聞こえ、思わず身を顰める。

「刑事の寮で秘書してるなんて、どうせあん中でたらい回しにされてるんだろうが。なら、どこで回されても同じだろ?」

「いやッ!! 痛い……」

 暗がりの中で、雪乃がでかい男に腕を掴まれ、組み敷かれそうになっている。

 俺は何も考えずに飛び出した。

「女から手ェ離せ」

「ウワッ!!! 新堂だ!!! 」

 チンピラ共はすぐに逃げて行く。

 タチの悪い相手じゃなくて、良かった。

「大丈……」

 聞こうとして、口が止まった。

 雪乃は立ち尽くしたまま、俯いて大粒の涙を流している。

「帰るぞ」

 俺は先に一歩踏み出す。

「…………」

 やはり、雪乃は着いて来ない。

「帰るぞって言ってんだろ。俺は総悟を侮辱したお前のことなんかどうでもいいが、総悟はそうじゃねーからな。仕方ねぇ」

 言い過ぎたことを謝ろうとしたのに、言葉は逆方向に向かっていく。

「別に、侮辱してませんッ!! だって私、先生のこともどうしていいか分からないのに、帰ったら結婚だって言われても、どうすればいいのか分からないし。

 私、1人じゃ生きていけないから、頼るしかないから頼ってるのに、なんでそれが好きになるの? それなら私、断れないじゃない!! お金借りて、住むとこ借りて、なのに、好きって言われて断れるわけないじゃない!! 」

「だったら働きゃいいだろーが。自分で何もできないと思い込すぎなんだよ。人を頼りすぎなんだよ。それを好きって言われて断れるわけがない? ふざけんな。誰もそんなこと同じ問題としてとらえてねーんだよ」

「…………」

「人に頼りたくないなら働け。稼げ。なんでもできるだろ。俺の小姓が務まってたくらいだから」

「…………」

 雪乃は口をへの字に曲げて、微動だにしない。動いているのは、流れ落ちる涙だけだ。

「とりあえず、今日は帰るぞ。明日から仕事探せ」

 俺は先へ進みだす。だが、後ろが動く気配はない。

「いつまでそこで……」

「…………」

 振り返ってみると、雪乃は俺と反対方向に歩き始めている。

「おい、仕事探しは明日にしろって言ってんだろ!! 今はもう店も閉まって……」

「住み込みで働けるとこ探す」

「何も住み込みじゃなくても住むとこはあるだろうがッ!! それに、住み込みは碌なトコがねぇ。働くならちゃんとしたトコで働け」

「だって人に頼らないってそういうことじゃないですかッ!! どうせ、私にできることなんて、たかが知れてます」

「何だ? どこで働くつもりなんだ? まさか身体売る気じゃねーだろーな?」

「別に、あそこで住まないのなら、住み込みで働くのなら、岬さんのことも関係ないじゃないですか。それで自由に生きていける」

「……今ヤローに手掴まれて嫌がってたの、どこのどいつだよ……」

「…………、でも、お金が絡むのなら、話は……」

 俺は雪乃にギリギリまで近寄って、軽くビンタを食らわした。

 その拍子に足がふらついたのか、尻もちをつくように地面に倒れ込む。いや、力はどれほども入っていなかったはず。

「あ!! 桜ちゃん!!」

 その先のコンビニから出て来た金髪のガキが、雪乃に近寄ってきた。

「テメー!! 何してんだよッ!!」

 ガキは雪乃を抱きかかえながら、俺を睨みつけて来る。

「お前こそ何してんだ。こんな時間にガキがうろついて。親はどうした?」

「俺が何してんだって聞いてんだよッ!!」

「桜ちゃん……大丈夫か?? 俺、先生に帰れって言われたけど、やっぱり諦めきれなくて残ったんだ。

 なあ? こいつに乱暴されてんじゃねーの? 掴まえられて、俺達のとこに帰れねーの?」

 桜……コイツがあのヤローと来たガキか、と俺はようやく気付く。

「ごめ……全然違う……」

 雪乃は涙で声を上ずらせながらも、何とか会話をしようと声を出している。

「先生が言ってたんだ。桜は1人じゃ何もできないから俺達が守ってやらなきゃいけないって」

「何もできねーことねーだろ。コイツぁもう大人だ。やろうと思えばなんでもできるさ」

「女に手ぇ出す奴の言うことなんか、聞きたくもねぇ」

 ガキは怒りに肩を震わせながら、吐き捨てるように言う。

「…………」

 ガキは黙って雪乃を立ち上がらせると、更に続けた。

「桜ちゃん。帰ろう、俺達と一緒に」

 ただ泣くばかりの雪乃。

 もしかしたら、迷っているのかもしれない。

 俺が、殴ったせいで……。

「ごめっ……ごめんっ……。ちょっと、待って……」

 雪乃は話がしたいのか、上を見上げたり、息を大きく吸ったりして、呼吸を整え始めた。

「おいガキ。あのヤローはどうした?」

「……先生は違うホテルにいる」

 言いつけ破ってまで雪乃に肩入れしてんのか……。

「正直に、話すね……」

 雪乃はガキの手を握ると、しっかりと目を見て言った。

「私、好きな人がいるの。だから帰れない」

 ガキはわけが分からず、ダダを捏ねるかなと思ったが、冷静に質問した。

「桜ちゃんは先生の事が好きじゃなかったのか? 先生がそう言ってた……。俺は確かに、あんな変な先生好きになるかって思ってたけど………」

「そうだね……。私、先生と一緒にいた時。先生が好きだった……。

 最初は先生強引で、半ば私騙されて部屋に入ったの」

 雪乃は手を握り直しながら笑うと、ガキは呆れ顔で「ったく先生は口がうまいからな」。

「でも、それから徐々に好きになっていった。

そんな中、先生と離れ離れになってしまって。

けどここへ来て、気持ちが変わったの。私、その人がすごく好き」

ガキに雪乃の気持ちがどこまで伝わっているのか読めなかったが、少なくともガキなりに理解するつもりなのか、真剣な眼差しで見つめていた。

「でもさ……桜ちゃんがそいつのこと好きなら、そいつも一緒に引っ越してくるってのはどう? 先生はもう仕方ねーとして。俺は時々会いたいし」

「それは……無理かな……。その人、私のこと好きじゃないから」

 その、場違いに明るい声と表情を俺は横で盗み見しながら、ドキリと大きく心臓が高鳴るような痛みを覚えた。

「何で!? 何でそんな奴のためにここに残りたいと思うんだよ!!」

「分かんない。けど、すごく好きなの。その人の近くにいられるのなら、なんでもできるってくらいに。その人のことを近くで見つめられるのなら、他の人と結婚したって構わない」

 !!!…………。

「……、意味分かんねぇよ。何で、他の人と結婚?」

 ガキは難しい顔をして、雪乃を見つめた。

「うん……それは、なんか言い過ぎだけど……。

 でも私も先生にそれ伝えなきゃね……」

 雪乃は更にガキの手を握り締めた。

「先生……ここまで突っ走って来てた。俺、その時になってようやく先生こんなに桜ちゃんが好きだったんだってわかった。先生……受け入れられるかな……」

「……夏輝君……」

「え?」

「随分大人になったね」

 雪乃は嬉しそうに、自分より少し背の高いガキの頭を撫でた。

「俺は前から大人だよ! なんか、先生見てたら……。俺がしっかりしなきゃって思って」

「でもそれって前からじゃない? 先生時々ぼーっとしてる」

「まあそうなんだけどぉ……」

 ガキは笑った後、俺の方を見る。

「……ところでこの人、誰? 何で桜ちゃん殴ってたんだよ?」

 例えガキといえど、睨まれるとつい睨み返してしまう。

「私がつい言い過ぎて。でも、優しい人なの。すごく」

「え、まさかもしかして、好きな人ってコイツ?」

 夏輝は眉間に皴を寄せながら疑うと、雪乃は慌てて

「ち、違うよっ! 違うっ! そんなわけないない!!」

 確信していたのに、雪乃のかなりの拒否にどう反応していいか分からなくなる。

「でも、この人は優しい人だよ」

「思いっきり殴られてたじゃん」

「思いっきり殴ってねーわ!!!」

 俺は久しぶりに口を開いた。

「ぐだぐだと……その、心配させるようなこと抜かしてっからシメてやっただけだよ。いわば、愛のムチ的なやつだ」

「桜ちゃん、大丈夫か? 」

「うん、平気」

「いやそうじゃなくて、アイツの頭」

「俺ァ普通だよ、普通!! 」

「もう二度と桜ちゃん殴んじゃねーぞ。今度殴ったら、俺が殴り返す!!」

「……わーってるよ。俺もやりすぎたと反省してる」

「…………」

 雪乃は俺をじっと見つめている。

 その視線に気づいていたが、もちろん、知らんフリを決め込む。

「おい、そろそろ行くか。ガキ、お前ももう帰れ。自分のとこに」

「……そうだな……。桜ちゃん。俺が言いたいことは、ただ1つだ」

「…………」

 俺と雪乃は黙ってガキを見つめた。

「いつも、笑ってて欲しい。ただ、そんだけだ」

 雪乃はガキに抱き着き、ぎゅっと抱きしめた。俺は思わず目を逸らす。

「…………」

 ありがとう、と言ったと思う。だけど、涙で声が震えていて、ほとんど俺のところまでは聞こえなかった。
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