夜香花
「え~? よくわかんない。でもさ、縄抜けなんて、襲われることがなかったら、必要ないことじゃない?」

 首を傾げて言う深成に、真砂も顎を撫でた。
 確かに縄抜けが必要になるのは、掴まったときだ。
 だが『襲う』『襲われる』を、どちらもちゃんと教えていたというのなら、毒に関する知識が全くないのは解せない。

「もしかして、お前の爺というのは、忍びの者ではないのかもな」

 忍びの者しか毒薬の知識がないわけではないが、それでもただの武士と忍びでは、毒薬の知識はだんちの差だ。

 優れた忍びほど、世に流通してない毒薬を使う。
 簡単に解毒されるのを防ぐため、元はありふれた毒薬でも、己で独自に作り替えるのだ。
 毒薬を使わない忍びであっても、自衛のために毒に対する知識は教え込むものだ。

「え~? でも忍びでもない人が、あんな速く走れないと思うなぁ」

「忍びだって人だぜ。そういう特殊技能だけある侍だったのかもしれんな。細川に関係する、赤目の侍……」

 返って検索範囲が広がってしまったな、と、真砂は息をついた。
 それほど秀でた能力の持ち主なら、名は知れているかもしれないが、全ての兵法者を把握しているわけでもない。

「まぁ……。記憶を頼りにしてても、何もわからんだろうな」

 呟き、真砂は立ち上がった。

「どこに行くのさ。もう遅いよ?」

 大きな欠伸をしながら言う深成に冷たい視線を投げ、真砂は戸を押し開けて、とっぷりと暮れた宵闇の中に姿を消した。
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