夜香花
「……」

 真砂が訝しげな表情になる。
 千代は俯いて、少し笑った。

「羨ましいですわね、そこまで想われるなど」

「くだらない」

 吐き捨てるように言うと、真砂は床を蹴って天井の梁に飛び乗った。

「放っておいて自害してくれるのなら、楽だがな。重臣が訪ねてきたのなら、逃がすつもりかもしれん。どっちにしろ、見つけ次第殺す。とっとと室の元へ連れて行け」

 冷たい言葉に唇を噛み、千代は一つ頷くと、そろそろと回廊を進んだ。
 屋敷の奥に行くほどに、飛び出してくる女が増える。
 皆、逃げ出すつもりなのだろう。

「千代、どこに行くつもりだい? お方様も、逃げられる者は逃げろって仰って、千世姫様にも落ち延びるよう勧められた。今なら逃げられるよ」

 一人の侍女が、千代の腕を掴んだ。
 年かさの、そこそこ威厳のある侍女だ。
 それなりの地位にあった者だろう。
 千代は先を見ながら、いかにも心配そうに言った。

「ええ、でも。おまつは? おまつを置いては……」

「ああ、おまつか。あの子はお方様のお側にいるよ。多分千世姫様辺りと一緒に出るんじゃないか」

「ど、どこに?」

「きっとまだ、お方様の部屋辺りで駄々をこねてるよ」
< 29 / 544 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop