夜香花
 だが男はそれに反応もせず、束の間じっと深成を見、そして深々と頭を下げた。

「お久しぶりにございます。ご無事で何より……於市(おいち)様」

「……え?」

 深成はぽかんと、目の前の男を見た。
 捨吉も、驚いた表情で固まっている。
 しばしの沈黙の後、男はゆっくりと顔を上げた。

「覚えておられないもの、無理はありませぬ。於市様はまだ、五つにもなっておられなかった故」

「五つ……」

「大坂のお屋敷では、我らと共によく遊んだものです」

 七つ八つの記憶も、どこか曖昧な深成である。
 だが何か思い当たることがあるのか、深成は男を凝視したままだ。

「……お前、真田の忍びか?」

 捨吉が、ようやく口を開いた。
 男はちらりと捨吉を見、立ち上がる。
 ひょろりとしているが、結構な大男だ。

「於市様を救ってくれたようだな。礼を言う」

 礼を言う、というわりには尊大な態度で、男が言う。
 捨吉は男に見下ろされ、若干気圧されながらも、ぐい、と深成の腕を引っ張った。

「れ、礼なら頭領に言うんだな! うちの頭領は、腕を失ってまで深成を助けたんだ」
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