夜香花
第三十五章
 元の場所に戻ってくると、いつの間にか六郎は姿を消していた。
 きょろきょろしながらも、深成は真砂の元へと、水の入った桶を運んでいく。

 真砂は深成が仕掛けていった芋の器をかき混ぜていた。
 深成は真砂の横に座り、器に水を入れて、薬草を磨り潰す。

「真砂。腕出して」

 深成が薬草を塗った新たな布を用意し、真砂の腕に巻いた布を解いていると、不意に真砂の目が鋭くなった。

「そなたが、この党の頭領か」

 いきなり六郎の声がし、深成は驚いて振り返る。
 消えるときもいきなりだが、現れるのもいきなりだ。
 忍びたるもの、そうであるべきなのだろうが、あまりに見事な気配の絶ち方に、深成は心の臓が飛び出るほど驚いた。

「……何者だ」

 相手を射殺す勢いの視線と低い声に、六郎の出現に驚いたばかりの深成は、また驚かされた。
 真砂の身体から、鋭い殺気が放たれている。

「あ、あの、あのね。この人は六郎って言って、わらわの、昔の遊び相手だったの。あの、わらわ、やっぱり……どこかのお屋敷で育ったみたい……」

 六郎のことと共に、当時の事を少し思い出したとはいえ、やはりそれがどこの家での出来事かなどの細かいことまではわからない。
 当時のことも、薄ぼんやりと感覚的に思い出しただけで、どういうところで何人と、とか、それが大名屋敷であったのか農家であったのかもわからない。

 故に、やはり自分は真田家の姫君である、とも思えないのだ。
 曖昧に、深成は真砂に告げた。
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