夜香花
第三十八章
「於市様」

 ある日、いつものように利世との話を終えた深成が、部屋で脇息にもたれかかっていると、不意に六郎が声をかけた。

「里の話は、楽しゅうございますか」

「そうだね。母上の仰るとおり、あの頃が一番楽しかったって、話してるとしみじみ思う」

 利世と里の話をするようになってから、深成は随分と表情が明るくなった。
 病は気からとはよく言ったもので、ぼんやりした人形のような感じではなくなると、あまり伏せることもなくなったようだ。

「お身体のほうも、ここ最近は調子が良いようで、このまま行けば婚儀も滞りなく済みましょう」

「婚儀ねぇ……」

 ふ、と深成の顔から、表情が消えた。
 話が婚儀のことになると、途端にお人形に戻ってしまう。

 六郎は、しばし深成を見つめた後、思い切ったように口を開いた。

「於市様。それがし、気になっていることがあるのですが」

 無言のまま、深成が目を向ける。

「何故於市様は、乱破の頭領のことを、『頭領』と言うのです?」

 瞬間、深成の瞳が揺れた。
 それを見逃す六郎ではないが、そのまま話を続ける。

「於市様は、里ではあの頭領のことを、名で呼んでおりましたな。それがしが聞いた限り、於市様があの者を、『頭領』と呼んでいたことはありませんでした」

 深成は六郎から目を逸らして、俯いている。

「お方様との話を聞いていても、それがしには、それ以外にも引っかかる点がございました。於市様は、あの頭領の話は、あまりなさいませんな」

「……」
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