夜香花
「どういうこと?」

 泣き出しそうな表情で詰め寄る深成に、真砂は僅かに困った顔をした。
 だが口は引き結んだまま、開かない。

「……ふん。何を照れておるのだ」

 六郎が、下から口を挟んだ。
 そして深成のほうへ向き直ると、初めて面白そうに、だが若干意地の悪い笑みを浮かべながら、ちょいと真砂を指差す。

「於市様が悲しまれることはありませぬ。やはりそれがしが、このようなことを言うのは不本意ではありますが、その男、間違いなく己の意思で、於市様を奪いに来たのですよ」

 深成が何もかも捨てて、到底安泰とは思えない暮らしに走ることには異を唱える六郎だが、どうしても彼は、昔から一番深成の傍にいたこともあり、彼女を悲しませることは、基本的に出来ない性分のようだ。

 つまり、六郎はどうしても、深成には甘い。
 真砂を殺すことが、今後の深成のためだとは思っても、それをすると深成が深く悲しむと思うと躊躇する。

 現に、深成が『真砂を殺したら、自分も生きてはいない』と言ったら、あからさまに狼狽えた。
 六郎にとって、深成が悲しむことは、何より避けたい事態なのだ。

 だが、己と同等、もしくは下の身分の者に深成が奪われるのも腹が立つ。
 いじれるネタを掴んだら、徹底的にいじってやろうという風に、ここぞとばかりに六郎は言葉を続けた。

「それがしは、確かにお方様と矢次郎茶屋へ行きました。でも、特に何をしたわけでもありませぬよ。お方様は願掛けと仰せられたが、神社でもない。茶屋で、お方様とお話しただけです。真田家の、於市様の婚儀が整ったとね」
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