夜香花
「あんまり昔のことは、覚えてないけど。でも物心ついてすぐ……というほど小さかったわけでもないよ。それなりに、身の回りのことが出来るようになってからだもん。一日置きか二日置きぐらいに、日が昇る前に屋敷に出向いて、夜になってから、家に帰った」

「一人でか?」

「爺が死ぬまでは、爺と一緒に」

「お前のじいさんか」

 深成は首を傾げた。
 そう言われると、よくわからない。
 己の出自がどういったものか、さっぱり知らないのだ。

「でもわらわは、爺に育てられたし」

「お前を育てたのは、室だろ?」

 う~ん、とまた深成は首を傾げる。
 育てた、というのは違うかもしれない。

 ずっと深成はお方様の傍にいたし、お方様の身の回りのこともよく手伝ったが、それはそれなりに大きくなってからだ。
 もっと小さい、屋敷に上がりたての五つ六つの頃は、ただお方様の近くにいた。
 その間お方様が何を教えてくれたわけでもない。

「お方様は、ただそこにいただけだよ。あ、だって、偉い殿様の正室は、自分の子供だって乳母が育てるじゃない。お方様も、そうだっただけだよ」

 ぽん、と手の平を叩く深成に、今度は真砂が首を傾げた。

「そうかな。確かに正室自らが子育てすることはないかもしれんが、それならわざわざ全く関係のないお前を自分の傍に置く意味もない。お前はとりあえず、室の傍にいる必要があったのさ」
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