幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
廉姫、とは奥乃家二代目の宗次郎が契約を交わしたと言われる妖である。
退魔師は、時折妖と契約を結ぶ。
命を助けてやるかわりに、妖を契約で縛り、使役するのだ。
しかし、廉姫は、宗治郎に使役されていたわけではなく、なんでも宗次郎が気に入ったので、進んで仕えるようになったのだという。
これだけでも妙な話である。
自ら人間に仕える妖など、他に例がない。
さらに妙なことに、廉姫は代々当主にしかその姿が見えない。
存在が一族の他の者には感知されないにも関わらず、当主に等しい、もしくは当主以上の存在であるかのように、奥乃家に伝えられてきた。
父が本当は存在しないのではと考えるのも、無理はない話であった。
実際、そう考える者はこれまでも大勢いたはずだし、これからもいるだろう。
当主に代々受け継がれる、自分のやり方を通すための勝手のいい存在。
しかし、礼太にはそうではないことは分かっていた。
礼太には妖は見えない。
霊的なものを一切感知しないが、たった一つの例外が、この廉姫だった。
幼い頃から、時折屋敷の中で奇妙な少女を見た。
少女は大抵、華女の背後にふわふわと浮いていた。
ある日、礼太は華女に尋ねた。
華女さんの後ろに時々、ぷかぷか浮いてる女の子は誰?と。
華女はしばし目を見開き、次いで楽しそうに微笑み、言った。
『廉姫よ』と。
人々の責めるような視線に頭を縮こませながら、少女と見つめあっていると、
「礼太」
と華女がこの日一番の優しい声で礼太の名を呼んだ。
「は、はい」
声が若干上ずり、羞恥でかぁーっと顔が熱くなる。
華女は気にせず、にこやかに続けた。
「貴方には、小さな頃から廉姫が見えていますね」
礼太はぴたりと動きを止めた。
華女の前で、自分と同じく父が硬直しているのが見えた。
次いで目の前の少女に目をやると、いたずらっぽい微笑みがかえってきた。
「ええと…あ、はい」
華女以外の者たちが一様に怪訝そうな顔をする。
おいおい、本当か?と疑い半分の顔だ。
「礼太、姫がどんな姿をしているか教えてあげて。」
華女の無邪気な口調に、楽しみはじめたな、と少しげんなりする。
「ええと、平安時代のお姫様みたいな格好してます。長い髪に、十二単みたいなやつ。色は白と赤。あと……子どもです」
最後に付け加えた言葉に、目の前の姫が不機嫌そうな顔をした。
『父親同様、失礼なやつだ』
「………すみません」
なんともいえない恐怖を感じ、礼太は小さな声で謝った。
「……礼太、本当に見えているのか」
そう尋ねてきたのは、祖父だった。
いつもと同じ、優しい祖父の顔をしている。
礼太は、さっきまでとはうってかわった七尾当座の声音に、逆にはっとなって、すくりと立ち上がった。
そうだ、自分は本家の人間だ。
華女さんや父さんたちのためにも、これ以上うろたえた姿見せたら駄目だ。
「はい、今、僕の目の前にいらっしゃいます」
ざわめきが大きくなる。
祖父はしばらくじっと礼太を見つめていたが、ふっと表情を緩めた。
「そうか、礼太がそう言うなら、もちろん見えるに違いない………当主」
祖父は礼太に向かってこれ以上ないほど優しく微笑み、再び華女に向き合った。
「廉姫が礼太を選んだ。それに間違いはないのですな」
華女がゆっくりと、しかしはっきりうなづいた。
「ええ、間違いありません」
一族の中に、どこか安堵した空気が流れる。
あの子が次期当主か。
力はないと言うが、廉姫が見えるというなら、そのうち芽生えてくるかもしれない。
ざわめきの中にそう言った会話を聞き、礼太は唐突に己の立場の危うさを思い出した。
そうだ、自分は廉姫がどうだろうと当主になんかなれない。
なってはいけない人間だ!
口を開こうとしたその時、
「ありえない」
低い声が、礼太よりも先に喧騒を遮った。
礼太の父はまっすぐに華女を見据えて言った。
「だめだ、礼太に奥乃は継がせない。継ぐのは誰でも構わん。しかし、力のない礼太だけは、駄目だ」
ひとつひとつの単語を、まるで自分に言い聞かせるかのように紡ぐ彼に、再び一族は沈黙した。
「まぁまぁ、とりあえず落ち着けよ」
ひょうきんな勝彦叔父さんが場の空気をかえりみずひょうきんに弟を諌めた。
「とりあえず、礼太が次期当主でいいじゃないか。廉姫が見えるってんなら、そのうち力も芽生えるかもしれないぞ。何事も前向きにだな……」
「一族の命運がかかっているのだ‼」
父の叫びが、礼太の鼓膜をうおんうおん鳴らした。
「……駄目だ、駄目なんだ。廉姫とやらに言っておけ、もっと考えろとな」
そう言い捨てて、父は一族に背を向けて舞禅の間を去って行った。
重い空気がその場を支配する。
「まったく……」
場を切り替えたのは、やはり華女だった。
「兄さんも大概だこと」
独り言のようなものをつぶやき、次いでにっこり微笑む。
「さて、次期当主の名指しは終わったし、晩餐を続けましょう」
無数の目が、礼太に突き刺さってくる。
礼太は、呆然と父が去って行った方を見つめた。
退魔師は、時折妖と契約を結ぶ。
命を助けてやるかわりに、妖を契約で縛り、使役するのだ。
しかし、廉姫は、宗治郎に使役されていたわけではなく、なんでも宗次郎が気に入ったので、進んで仕えるようになったのだという。
これだけでも妙な話である。
自ら人間に仕える妖など、他に例がない。
さらに妙なことに、廉姫は代々当主にしかその姿が見えない。
存在が一族の他の者には感知されないにも関わらず、当主に等しい、もしくは当主以上の存在であるかのように、奥乃家に伝えられてきた。
父が本当は存在しないのではと考えるのも、無理はない話であった。
実際、そう考える者はこれまでも大勢いたはずだし、これからもいるだろう。
当主に代々受け継がれる、自分のやり方を通すための勝手のいい存在。
しかし、礼太にはそうではないことは分かっていた。
礼太には妖は見えない。
霊的なものを一切感知しないが、たった一つの例外が、この廉姫だった。
幼い頃から、時折屋敷の中で奇妙な少女を見た。
少女は大抵、華女の背後にふわふわと浮いていた。
ある日、礼太は華女に尋ねた。
華女さんの後ろに時々、ぷかぷか浮いてる女の子は誰?と。
華女はしばし目を見開き、次いで楽しそうに微笑み、言った。
『廉姫よ』と。
人々の責めるような視線に頭を縮こませながら、少女と見つめあっていると、
「礼太」
と華女がこの日一番の優しい声で礼太の名を呼んだ。
「は、はい」
声が若干上ずり、羞恥でかぁーっと顔が熱くなる。
華女は気にせず、にこやかに続けた。
「貴方には、小さな頃から廉姫が見えていますね」
礼太はぴたりと動きを止めた。
華女の前で、自分と同じく父が硬直しているのが見えた。
次いで目の前の少女に目をやると、いたずらっぽい微笑みがかえってきた。
「ええと…あ、はい」
華女以外の者たちが一様に怪訝そうな顔をする。
おいおい、本当か?と疑い半分の顔だ。
「礼太、姫がどんな姿をしているか教えてあげて。」
華女の無邪気な口調に、楽しみはじめたな、と少しげんなりする。
「ええと、平安時代のお姫様みたいな格好してます。長い髪に、十二単みたいなやつ。色は白と赤。あと……子どもです」
最後に付け加えた言葉に、目の前の姫が不機嫌そうな顔をした。
『父親同様、失礼なやつだ』
「………すみません」
なんともいえない恐怖を感じ、礼太は小さな声で謝った。
「……礼太、本当に見えているのか」
そう尋ねてきたのは、祖父だった。
いつもと同じ、優しい祖父の顔をしている。
礼太は、さっきまでとはうってかわった七尾当座の声音に、逆にはっとなって、すくりと立ち上がった。
そうだ、自分は本家の人間だ。
華女さんや父さんたちのためにも、これ以上うろたえた姿見せたら駄目だ。
「はい、今、僕の目の前にいらっしゃいます」
ざわめきが大きくなる。
祖父はしばらくじっと礼太を見つめていたが、ふっと表情を緩めた。
「そうか、礼太がそう言うなら、もちろん見えるに違いない………当主」
祖父は礼太に向かってこれ以上ないほど優しく微笑み、再び華女に向き合った。
「廉姫が礼太を選んだ。それに間違いはないのですな」
華女がゆっくりと、しかしはっきりうなづいた。
「ええ、間違いありません」
一族の中に、どこか安堵した空気が流れる。
あの子が次期当主か。
力はないと言うが、廉姫が見えるというなら、そのうち芽生えてくるかもしれない。
ざわめきの中にそう言った会話を聞き、礼太は唐突に己の立場の危うさを思い出した。
そうだ、自分は廉姫がどうだろうと当主になんかなれない。
なってはいけない人間だ!
口を開こうとしたその時、
「ありえない」
低い声が、礼太よりも先に喧騒を遮った。
礼太の父はまっすぐに華女を見据えて言った。
「だめだ、礼太に奥乃は継がせない。継ぐのは誰でも構わん。しかし、力のない礼太だけは、駄目だ」
ひとつひとつの単語を、まるで自分に言い聞かせるかのように紡ぐ彼に、再び一族は沈黙した。
「まぁまぁ、とりあえず落ち着けよ」
ひょうきんな勝彦叔父さんが場の空気をかえりみずひょうきんに弟を諌めた。
「とりあえず、礼太が次期当主でいいじゃないか。廉姫が見えるってんなら、そのうち力も芽生えるかもしれないぞ。何事も前向きにだな……」
「一族の命運がかかっているのだ‼」
父の叫びが、礼太の鼓膜をうおんうおん鳴らした。
「……駄目だ、駄目なんだ。廉姫とやらに言っておけ、もっと考えろとな」
そう言い捨てて、父は一族に背を向けて舞禅の間を去って行った。
重い空気がその場を支配する。
「まったく……」
場を切り替えたのは、やはり華女だった。
「兄さんも大概だこと」
独り言のようなものをつぶやき、次いでにっこり微笑む。
「さて、次期当主の名指しは終わったし、晩餐を続けましょう」
無数の目が、礼太に突き刺さってくる。
礼太は、呆然と父が去って行った方を見つめた。