幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
「……い、おいっ」
夢うつつに響いていた声が、徐々に近くなってゆく。
ぺしぺしと頬を叩かれて、礼太はゆっくりと目を開けた。
「よかったっ、兄さん」
聖の心底ほっとしたような笑顔が飛び込んでくる。
見下ろしてくるもう一つの顔にも、心なしか安堵の色が浮かんでいた。
「……僕……気絶してた?」
「ああ、せいぜい一、二分だけどな」
「ああっ、奈帆子さんは?あの、変なやつは?もわぁって、うわぁって」
「……分かりやすい説明どうも。奈帆子はほら、寝てる。随分楽になってるみたいだぞ」
見れば確かに、ベッドの上で丸まって寝ていた。
額には疲労の汗が滲んでいたが、先ほどまでの苦渋の色はすっかり抜けている。
「妖は俺が斬った。何が起きたのかよくわかんなかったけど、綺麗に抜け出てきてくれたお陰で、奈帆子の精神に傷をつけずに始末できた」
「そっか……よかった」
ひとまずは安心だ。
「それとさ……あんた、何で泣いてんの」
希皿がからかう口調で尋ねてきたので、礼太は首を傾げた。
「兄さん、ほっぺ、濡れてるよ」
そう言って聖がごしごしと頬を拭ってくる。
「……目にゴミでも入ったかな」
そう口では言いながらも、礼太はなぜ自分が泣いていたのか分かっていた。
指摘されるまで気づかなかったけども。
気絶していたほんの短い間に、礼太は夢を見ていたのだ。
……奈帆子の夢を。
そしてそれは、おそらく奈帆子にとって現実であったもの。
自分に力がないことは重々承知しているが、どうしてかあれはただの夢ではないという確信があった。
(奈帆子さん……)
自分が見た走馬灯のような夢は、奈帆子の人生のほんの一部でしかないことは分かっているけれど。
彼女の描く絵の儚さの、由来が分かった気がした。