幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
『いいこと、礼太』


静かな廊下に連れ出され、これはいったいどういうことなのだと口を開きかけた礼太を遮り、華女は静かな口調で言った。


『今はわけが分からないでしょうし、一番困惑しているのは貴方でしょう。でも、貴方は選ばれた。これはもう、くつがえらない』


その言葉に、礼太は絶望にも似た何かを憶えた。


礼太の身長は、まだ華女に届かない。


すがるような目をしているであろう自分を見下ろす華女の表情は、まるで月の光のような冷たさをはらんでいた。


優しいような、突き放すようななんとも言えない月夜の光が、華女の瞳に宿っていた。


『明日、わたしの部屋へいらっしゃい。その時に、また話しましょう』


さらりと、華女の白い手が礼太の髪を撫でた。












浅く息をしながら、枕に顔をうずめ、このまままた眠ってしまえないものだろうかと願う。


しかし、目はばっちり覚めてしまっている。


障子の隙間から漏れる太陽の光が恨めしかった。


昨日は結局、あれから自分の部屋に戻り、こっそり風呂につかって誰よりも早く寝てしまった。


夢うつつの中で脳裏にあったのは、華女に引っ張られて部屋を出る前に目に飛び込んできた、妹と弟の姿。


いつもと変わらない笑みを浮かべて、会話に興じていた。


二人の周りには、礼太に負けずおとらずの人が集まっていた。


やはり、一族の半数は、華女がなんと言おうと、次期当主は華澄か聖だと思っているようだ。


何しろ、力のない当主など前代未聞。


しかも、一族全体の力は、時代が進むごとに衰えてきていると言われているが、華澄と聖は、過去を遡ってみても、かなりの腕の退魔師らしい。


その二人をさし置いて、無能の長子が『次期様』と呼ばれるなんて。


華女に引っ張られて、よろける礼太を見る目には冷ややかなものも少なくなかった。


「………二人はどんな風に思っているんだろ」


声にだしてみると、急に不安にかられた。


礼太たち兄妹は仲が良い。


この、子供には少々生きづらい屋敷の中で一緒に育ってきた。


華澄のカラッとした笑顔に、聖に『兄さん!』と嬉しそうに呼ばれる時の幸せ。


失うなんて、考えられない。


まさか、と思いつつも、不安が脳にこびりついて離れない。


どうしてこんなにも怖いのかといえば、やはり昨日の父の態度に、相当神経をやられているらしい。


自分も力が欲しかった。


奥乃の家の役に立ちたかった。


妹と弟と、同等の位置に並びたかった。



……次期当主候補に、名を連ねてみたかった。


心の中でいつも思っていた。


どうして自分だけ、と。


しかし、こんな形で叶うのは、違った。


自分に力が備わってない以上、次期当主の名は、罪悪感でしかなかった。
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