幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
「はぁー、夕方んなってもまぁまぁ暑いよなあ」
溶けかけたアイス片手に、和田がぼやいた。
「夏だからねぇ」
礼太は最後の一口を口の中で溶かしながらのんびりと答えた。
時刻は6時を回った頃か。
日は沈みかけているがまだまだ明るい。
部活帰り。
歩き慣れた道を、時々礼太たち同様運動部帰りとおぼしき自転車に追い抜かれながら辿る。
二人して口数は少ない。
平常授業の日は原則歩き通学しか許されていないため、大勢で賑やかに帰るのだが、休みの間は自転車に乗ってこれるのでほとんどの部員たちは先に行ってしまった。
(もっとも、夏休みじゃなかったとしても、和田以外が僕と帰ってくれたかどうか)
誰も、あからさまに礼太をのけ者にしようとはしない。
先輩たちは優しいし、後輩はそれなりに慕ってくれる。
同級生たちと少しばかりギクシャクしているのは確かだが、和田が緩和剤になってくれる。
それでもやはり、流れる空気というものがあるのだ。
礼太が部活を休みがちになってから、礼太に対する態度に微塵の変化も見せなかったのは乙間先輩ぐらいだ。
実際に話したのは和田だけだが、おそらく皆、薄々感づいているのだろう。
礼太が部活を辞める気であるということを。
そして、礼太が家業を手伝い始めたことを知っている人は知っているに違いない。
例えばいつだったか、和田が礼太の休みに不満を漏らした時、「仕方ないだろ、奥乃は『奥乃』なんだから」と意味深な発言をした先輩。
昔からこの土地に住み、奥乃家を地主としていた人たちの子孫。
彼らには、新興住宅地に越してきたある種の余所者たちにはない、情報網がある。
この小さな街には蜘蛛の巣状に情報網が張り巡らされており、糸が震えればあっという間に末端までその振動が伝わるのだ。
ただし、その意味を知らないものには、なんの関係もないことではあるのだけれど。
「合宿、楽しみだな。俺、何持ってこようかなぁ。やっぱウノとかトランプが無難か?」
「うーん、トランプは他の誰かが持ってきそうじゃない?」
夏休みの終わりに、テニス部では合宿をやる。
と言っても、場所は学校で、たった一泊しかしない。
強豪校の強化合宿などとはわけが違う。
夏休み明けには引退する三年生との思い出づくりがおもな目的だ。
「パパが合宿に参加するの許してくれてよかったな」
和田がにやっと笑って礼太をからかう。
「………僕、三歳児じゃないから」
去年の合宿はそれなりに楽しかったが、一番の思い出は出かける前、怖い顔をした父にお札を渡されたことだ。
というよりあの、人を殺してきた後みたいな顔が、忘れられない。
思い返せば小学校の修学旅行の時も、さらに遡れば幼稚園のお泊まり保育の時も、父はやたら神経質になっていた。
今は理由が分かっているが、あれは確かに、はたから見れば心配しすぎだ。
「あと……少しだな」
和田がふいに声のトーンを落とした。
ぽつりと呟かれた言葉が、礼太の心に波紋をえがく。
「うん……」
夏休みはあと少し。
礼太がテニス部員なのもあと少し。
夏の終わりは、なぜか切なさをともなう。
夏の空気は、冬よりも濃く甘い死臭を孕んでいる。
溶けかけたアイス片手に、和田がぼやいた。
「夏だからねぇ」
礼太は最後の一口を口の中で溶かしながらのんびりと答えた。
時刻は6時を回った頃か。
日は沈みかけているがまだまだ明るい。
部活帰り。
歩き慣れた道を、時々礼太たち同様運動部帰りとおぼしき自転車に追い抜かれながら辿る。
二人して口数は少ない。
平常授業の日は原則歩き通学しか許されていないため、大勢で賑やかに帰るのだが、休みの間は自転車に乗ってこれるのでほとんどの部員たちは先に行ってしまった。
(もっとも、夏休みじゃなかったとしても、和田以外が僕と帰ってくれたかどうか)
誰も、あからさまに礼太をのけ者にしようとはしない。
先輩たちは優しいし、後輩はそれなりに慕ってくれる。
同級生たちと少しばかりギクシャクしているのは確かだが、和田が緩和剤になってくれる。
それでもやはり、流れる空気というものがあるのだ。
礼太が部活を休みがちになってから、礼太に対する態度に微塵の変化も見せなかったのは乙間先輩ぐらいだ。
実際に話したのは和田だけだが、おそらく皆、薄々感づいているのだろう。
礼太が部活を辞める気であるということを。
そして、礼太が家業を手伝い始めたことを知っている人は知っているに違いない。
例えばいつだったか、和田が礼太の休みに不満を漏らした時、「仕方ないだろ、奥乃は『奥乃』なんだから」と意味深な発言をした先輩。
昔からこの土地に住み、奥乃家を地主としていた人たちの子孫。
彼らには、新興住宅地に越してきたある種の余所者たちにはない、情報網がある。
この小さな街には蜘蛛の巣状に情報網が張り巡らされており、糸が震えればあっという間に末端までその振動が伝わるのだ。
ただし、その意味を知らないものには、なんの関係もないことではあるのだけれど。
「合宿、楽しみだな。俺、何持ってこようかなぁ。やっぱウノとかトランプが無難か?」
「うーん、トランプは他の誰かが持ってきそうじゃない?」
夏休みの終わりに、テニス部では合宿をやる。
と言っても、場所は学校で、たった一泊しかしない。
強豪校の強化合宿などとはわけが違う。
夏休み明けには引退する三年生との思い出づくりがおもな目的だ。
「パパが合宿に参加するの許してくれてよかったな」
和田がにやっと笑って礼太をからかう。
「………僕、三歳児じゃないから」
去年の合宿はそれなりに楽しかったが、一番の思い出は出かける前、怖い顔をした父にお札を渡されたことだ。
というよりあの、人を殺してきた後みたいな顔が、忘れられない。
思い返せば小学校の修学旅行の時も、さらに遡れば幼稚園のお泊まり保育の時も、父はやたら神経質になっていた。
今は理由が分かっているが、あれは確かに、はたから見れば心配しすぎだ。
「あと……少しだな」
和田がふいに声のトーンを落とした。
ぽつりと呟かれた言葉が、礼太の心に波紋をえがく。
「うん……」
夏休みはあと少し。
礼太がテニス部員なのもあと少し。
夏の終わりは、なぜか切なさをともなう。
夏の空気は、冬よりも濃く甘い死臭を孕んでいる。