幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
「パジャマは入れた?胃薬はもっときなさいね」


「もう、たった一泊だよ。それにパジャマ持ってくるやつなんていないよ、皆、体操服で寝るんだから」


にこにこしながらあれこれ言ってくる母に、礼太はため息をついた。


「こないだは特に何も言ってこなかったじゃないか」


「だって、あの時は華澄ちゃんが一緒だったもの」


がくり、と肩が沈む。


どうやら母の中では、礼太は華澄の後に生まれたことになっているらしい。


「……じゃ、もう行くから」


「気をつけてねぇ」


「はいはい」


母はなぜこうもぽやぽやしているのか。


苦笑いしながら、礼太はラケットとエナメルバッグを担ぎ、裏口にまわった。


「礼太」


廊下の途中でふいに声をかけられ振り向けば、華女が微笑んでいた。


「合宿なのね、気をつけるのよ」

「そんなたいそうなもんじゃないよ。場所は学校だし、一泊だし」

「それでも心配なものは心配なのよ。泊りがけの時だけじゃないわ。あなたが学校に行くとき、遊びに行くとき……いつだって心配。ごめんなさいね、大人の感傷よ」


礼太は静かに首を横に振った。


「御守りは持ってる?」


「あ……うん」


バッグのチャックを開けて見せると、華女はそれを取り出して礼太の首にかけた。


華女が礼太の目を覗き込む。


どぎまぎしたが、そらせない。


「かけていなさい、はずしては駄目」

「でも……」

「テニスをする時は邪魔でしょうけど、貴方のためよ」


切れ長の瞳は真剣で、少し寂しげでもあった。


「……うん、分かった」


はずさない、と小さく答えれば、ふわりと笑った華女が優しく礼太の頬をなでる。


「いってらっしゃい」


「いってきます」


華女に笑い返して、礼太は外に飛び出した。


早朝、カラッと乾いた空が礼太を迎えた。



< 136 / 176 >

この作品をシェア

pagetop