幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
はじめてなのは何も声だけではない。


しっかりとした輪郭のある姿が見えたのも、昨日がはじめてだった。


今までも確かに見えてはいたが、どこかうすぼんやりとした、いっそ幻覚じみた存在としか、認識することが出来なかった。


だから、今までさほど気にせずにいられたとも言える。


それが昨日になって、いきなりズカズカと礼太に存在感を発揮し始めたのだ。


「あのぉ」


『なんだ』


人間と声帯の仕組みが違うのか、異次元から響くような妙な声だが、はっきりと耳に届く。


おずおずと見上げたまま、礼太は頬を少し赤くした。


「……着替えるんで、出てってもらっていいですか」


300歳か400歳か、はたまたそれ以上か検討もつかないが、一応少女の姿をしている相手の前で着替えるのは気が引ける。


人がせっかく羞恥を押し殺してお願いしたというのに、廉姫はおかしそうに笑っただけで、出ていこうとはしなかった。


『別にかまわん。遠慮せずにすぱっと脱いでしまえ』


男らしい台詞はいっそ清々しいがしかし。


(僕がかまう……)


結局、礼太史上最速で着替える羽目になった。












「あのう、聞いていいですか」


『なんだ』


左耳の辺りに廉姫の気配を感じながら、礼太は当主のもとへと向かっていた。


朝食をとりたかったのだが、せかされている身でそれもどうかと考えた末、そのまま行くことにした。


朝食を欠かしたことはないが、なくてもそれほど苦痛ではない。


それより遥かに苦痛なものが、現在礼太の左上をふよふよ浮いている妖の存在だ。


力のない礼太を次期当主に選び、本来であれば無用の混乱を招いた張本人。


廉姫の浮いている位置が、いつも礼太が華女の後ろに見かける時と、同じであることを意識せずにはいられなかった。


人の左上が好きなのだろうか?


しかし、今礼太が聞きたいのはそんなことではない。


「どうして僕が次期当主なんですか」


返ってきたのはしばしの沈黙だった。


礼太が廊下を踏むぎしぎしいう音だけが響いた。


『いずれ分かる』


しばらくして返ってきたのは、気のない返事だった。


「貴女の姿を見ることをできるからですか」


『いいや』


なおも食い下がる礼太に、廉姫はそっけない。


礼太は、自分に都合の良い答えが返ってくることを期待していた自分に気づき、小さく苦笑した。


お前には、いずれ物凄い力が芽生える予定なんだ。


とか、そういう夢物語っぽい答えを知らず知らず期待していた。


(だって……わけ分からないよ)


いずれ分かる、と言ったが、いずれとはいつだ。


自分は……本当に『次期様』なのか。


性格悪いお姫様の悪ふざけだったりして。


一族のことを考えれば、それならそれに、越したことはない。
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