幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
華女の顔を見惚れるように凝視する。
本日何度目かの戦慄が体内を駆け巡った。
「それは………廉姫に僕を見張らせるため?」
「ええ、貴方を当主に据えておけば、廉姫がいつでも貴方の側へ赴くことが出来る。千里の道のりでさえ、奥乃家の当主と廉姫の絆にかかれば、一瞬で渡ることができる。貴方と貴方の周りの人々を廉姫が守ってくれるわ」
礼太は俯いた。
体操服の藍色がぼんやりと霞む。
華女は黙ったまま何も言わない礼太を見てなんと思ったのか、やわらかい口調でなおも続けた。
「勿論、今は当主としての責務を果たせとは言わないわ。一族の者たちにも知らせる必要はない。ただ貴方はその「名」を背負えばいい。「実」はゆっくりと譲り渡してゆきましょう。今は学生生活を謳歌しなさい。」
「………だめ」
「………何、礼太」
礼太は顔をあげて、華女と目を合わせた。
「駄目です。僕、本当に怖かった。もう少しで友達を殺してしまうところだった。もう、あんな思いはしたくない。だから……」
いいのか?ともう一人の礼太が頭の中で囁いた。
いいのか?そんなこと言ったら取り返しのつかないことになるかもしれないんだぞ。
甘い声を必死に無視して、礼太は言った。
「僕を、地下牢においてください」
ほっと息を吐いて、華女の反応を待つ。
いつの間にやら華女の肩口にちょこんと戻っている廉姫は、なにやら複雑な顔をして主を見下ろしていた。
始め、華女の顔にはなんの表情もなかった。
のっぺりと、感情が剥がれ落ちてしまったかのように、華女の顔が白で埋めつくされる。
やがて口を開いた華女から溢れた声は、なぜか幼い子供のような甘さを含んでいた。
「廉姫が、守ってくれると言っているでしょ」
「……確証はもてないです」
「駄目よ」
ぴしゃりと、言い返すことを許さない口調で華女は礼太を一蹴した。
すっと無駄な動きの一歳ない動作で立ち上がった華女の瞳には、怒りの炎を揺らいでいた。
未だかつて、この叔母にここまで激しい感情を向けられた試しのなかった礼太は震え上がった。
背筋を冷たいものがツゥと通った。
華女の怒りと、悲しみが溢れんばかりに礼太を責めていた。
なんで、そんなことを、言うの、と。
「駄目よ、礼太。
貴方を地下牢の住人になんかさせない。
貴方は外で生きるの。
貴方だけは‼︎
貴方だけは自由を手に入れなければならない。
幸せにならなければならないの。
今度こそ、今度こそ………っ」
『華女っ』
廉姫が声を荒げた。
華女はハッと目を見開くと、首を振って俯いた。
「ごめんなさい………」
取り返す華女を食い入るように見つめていた礼太は、切れ長の瞳に涙が光ったことに気づかないわけにはいかなかった。