幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
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礼太はその親子の戯れをただ見ていた。
幼い男の子が母親にじゃれて遊んでいる。
美しい母親は愛おしそうに我が子をあやし、澄んだ声で唄をうたっていた。
おっかさん、おっかさんと甘えるその子は宗治郎だ。
すると、これはやはり夢の中。
この夢の中で傍観者となるのは初めてのことだ。
いつもは役者の一人として、こののどかな景色に参加しているから。
目の前が歪み、今度は少し成長した宗治郎が同い年くらいの男の子と山を駆け回っていた。
礼太の身体も風のようにその後をついて行く。
「宗治郎!お前走るの遅いぞ」
小生意気そうな少年が、美麗な相貌を歪めて言った。
「はぁはぁ……お前と一緒にするな、われはお山の猿じゃないんだよ」
息を切らしながらも宗治郎が負けじと言い返す。
「な、なにをーーっ」
少年が宗治郎に飛びかかった。
ケタケタと笑いながら逃げる宗治郎に少年はあっという間に追いついて細っこい身体を羽交い締めにする。
それでもなお笑い続ける宗治郎に、やがて少年は諦めた様子でばさりと宗治郎の横に寝っ転がった。
「なぁ、宗治郎、知ってるか」
「うん?」
「お前みたいな奴を、しょーわると言うんだ」
「ふふっ、お前みたいなのをあほぅと言うことは知ってるよ」
しばしの沈黙の後、少年が深いため息をついた。
それが合図であったかのように、二人は声を合わせて笑いだした。
木々を通り抜け、青空に笑い声がこだまする。
宗治郎が、ふいに少年に呼びかけた。
前途への憂いや惑いなど微塵もない、まっすぐな声で。
雅仁
少年が宗治郎の方へ首を振る。
なんだ?
なんでもないよ
口を尖らせる雅仁に、宗治郎がまた笑う。
いつものやり取り。
あまりにも幸せな日々。
そして、そして…………
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血濡れ、もはや息をしていない青年と、泣き崩れる青年。
彼らの頭上には桜が咲き乱れている。
彼らを見守る礼太の頬を桜吹雪がそっと撫でた。
風が強くなる。
桜色に埋もれ、目の前の光景が掻き消えた。
あとには、静かに目を覚まし、涙する礼太が残された。