幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
「もちろん、一から十まで教えろと言ってるわけではないの。礼太には奥乃の能力はないから、体得できることはそうないもの。」
ぽかんと三人揃って口を開ける兄弟に華女は言った。
「でも、礼太は当主になるんだから、全く何も知らないと言う訳にはいかない。だから、とりあえず。礼太、華澄と聖の仕事に同行して、我が家の家業がどのようなものなのか、しっかりと自分の目で見てきなさい。」
ちょっと、おつかいに行ってきなさい
母親が子供に頼むような気楽さで華女は言った。
「……仕事に連れてくって、一回だけの話?」
心底嫌そうなのを隠しもしない華澄は、低い声で華女に尋ねた。
軽く傷ついた礼太は蚊帳の外で、華女は、まさか、と首を横に振った。
「それじゃ、修行にならないじゃない。知識と経験は多いに越したことはない。厄介な人に揚げ足取られないためにもね。期間は礼太が当主になるまで。」
「嫌よ、絶対に、嫌」
鼻を膨らませて拒否を示した華澄は、その後慌てて、別に兄貴が嫌なわけじゃないからね、とフォローを入れた。
「大抵の仕事はふらふらやっときゃなんとかなるようなもんばっかだけど、もし万が一、すっごい危険な案件に当たっちゃったらどうすんのよ。わたしと聖だけじゃ、兄貴を守れないかもしれない」
もっともな意見だ。
華澄と聖が自分を守ろうとして命を落としたりなどしたら、多分自分は生きていけない。
「ああ、それは大丈夫よ」
しかし、華女は首を縦には振らず、変わりに袖の中から紐状の何かを取り出した。
首飾りだろうか。
茶色い紐に青色の石がひとつ通されている。
「これは、我が家に伝わる秘宝。身につけただけで妖から身を守ってくれる」
「はぁ?んなもん聴いたことないんだけど」
華澄が胡散臭そうに石を凝視した。
礼太と聖も物珍しくその石を見つめる。
しかし、みればみるほど300円とかで売ってある、女の子が好きそうなラッキーストーンの類にしか見えない。
「そりゃ、当主だけに伝わるものだもの。だから、あなたたち、他言無用よ。」
華女は兄弟を目でおどす。
『やはり、何度見ても安っぽい石だな』
空中でふよふよしている廉姫も礼太と同意見らしく皮肉っぽい口調で批評を口にするが、華女は相手にしない。
「さぁ、これで話をおしまいよ。華澄、聖、お願いね。礼太、精進なさい。これも立派な当主になるための道よ」
「あのっ」
間髪入れず、聖が上ずった声で華女の言葉を遮った。
珍しいこともあるものだと、礼太と華澄は軽く目を開いた。
聖は勝彦おじさん以外の大人の前では利発で礼儀正しい態度を崩さないのが常なのだが、華女が相手だと何故か緊張するらしく、自分から話しかけることはまずないのだ。
聖は頬をかすかに赤くしながら、それでもまっすぐに華女を見据えて言った。
「なんで、兄さんが次期当主なんですか」
華女は微かに笑んで、先ほどと同じことを繰り返すだけだった。
「まだ、言えないそうよ」
当主の間から出て、御守りの石を片手に礼太は深く息をはいた。
結局、次期当主にはなりたくないと言わせてもらえなかった。
いや、華女だけに責任転嫁するのは間違いというものだろう。
先ほどの聖のように華女の言葉を遮ってでも、言うことは出来たのだ。
でも、礼太はそれをしなかった。
結局自分は流されていくのかと、自分の意思の弱さを痛感する。
それと同時に、けして認めたくはなかったが、喜んでいる自分が確かにいた。
当主にはなりたくないが、華澄と聖の仕事に同行することができる。
自分は『部外者』ではなくなるのだ。
当主になりたくないと食い下がれば、華女の、ひいては廉姫の意向を覆すことは、不可能ではなかったかもしれないのに。
それをしなかったのは、部外者に引き戻されるのが怖かったからだ。
ひどく打算的な自分に嫌気がさす。
きゅっと唇を噛みしめる礼太の顔を見上げる影があり、礼太は慌てて表情を柔らかくした。
「兄さん、あのね、どうして次期当主が兄さんなのかって聞いたのは、兄さんが当主になるのが嫌だからじゃないよ」
不安げに見上げてくる聖に、礼太はにこっと微笑んだ。
「分かってるよ。聖は優しいから、僕を心配してくれたんだろ」
「……うん」
歯切れの悪い返事にあれ間違えたかなとも思ったが、兄に嫌われたんじゃないかと全身で不安がっているのがわかる聖に、優しさが湧きこそすれ、責めようとは思わない。
「……兄貴、良かったの?」
礼太とほぼ同じ目線で、華澄は心配そうに見つめてくる。
「……今はしょうがないよ。廉姫の意志は固いみたいだし。でも、どう考えたって僕が当主になれるわけないし、そのうちお前たちのどっちかが選びなおされるよ」
「……ってっきとうだなぁ、兄貴は」
声に若干の苛立ちを滲ませながら、華澄は苦々しい笑みを漏らした。
「そういや兄貴、今日は部活ないの」
…………あ。
怒涛の展開のせいで忘れていたが、今日は午後練があるのだった。
二日続けて休むのは気が引ける。
「休みたい………」
「さぼっちまえばぁ」
華澄が笑うと、聖もつられて笑う。
礼太はと言えば、本日何度目かのため息をつくしかなかった。
ぽかんと三人揃って口を開ける兄弟に華女は言った。
「でも、礼太は当主になるんだから、全く何も知らないと言う訳にはいかない。だから、とりあえず。礼太、華澄と聖の仕事に同行して、我が家の家業がどのようなものなのか、しっかりと自分の目で見てきなさい。」
ちょっと、おつかいに行ってきなさい
母親が子供に頼むような気楽さで華女は言った。
「……仕事に連れてくって、一回だけの話?」
心底嫌そうなのを隠しもしない華澄は、低い声で華女に尋ねた。
軽く傷ついた礼太は蚊帳の外で、華女は、まさか、と首を横に振った。
「それじゃ、修行にならないじゃない。知識と経験は多いに越したことはない。厄介な人に揚げ足取られないためにもね。期間は礼太が当主になるまで。」
「嫌よ、絶対に、嫌」
鼻を膨らませて拒否を示した華澄は、その後慌てて、別に兄貴が嫌なわけじゃないからね、とフォローを入れた。
「大抵の仕事はふらふらやっときゃなんとかなるようなもんばっかだけど、もし万が一、すっごい危険な案件に当たっちゃったらどうすんのよ。わたしと聖だけじゃ、兄貴を守れないかもしれない」
もっともな意見だ。
華澄と聖が自分を守ろうとして命を落としたりなどしたら、多分自分は生きていけない。
「ああ、それは大丈夫よ」
しかし、華女は首を縦には振らず、変わりに袖の中から紐状の何かを取り出した。
首飾りだろうか。
茶色い紐に青色の石がひとつ通されている。
「これは、我が家に伝わる秘宝。身につけただけで妖から身を守ってくれる」
「はぁ?んなもん聴いたことないんだけど」
華澄が胡散臭そうに石を凝視した。
礼太と聖も物珍しくその石を見つめる。
しかし、みればみるほど300円とかで売ってある、女の子が好きそうなラッキーストーンの類にしか見えない。
「そりゃ、当主だけに伝わるものだもの。だから、あなたたち、他言無用よ。」
華女は兄弟を目でおどす。
『やはり、何度見ても安っぽい石だな』
空中でふよふよしている廉姫も礼太と同意見らしく皮肉っぽい口調で批評を口にするが、華女は相手にしない。
「さぁ、これで話をおしまいよ。華澄、聖、お願いね。礼太、精進なさい。これも立派な当主になるための道よ」
「あのっ」
間髪入れず、聖が上ずった声で華女の言葉を遮った。
珍しいこともあるものだと、礼太と華澄は軽く目を開いた。
聖は勝彦おじさん以外の大人の前では利発で礼儀正しい態度を崩さないのが常なのだが、華女が相手だと何故か緊張するらしく、自分から話しかけることはまずないのだ。
聖は頬をかすかに赤くしながら、それでもまっすぐに華女を見据えて言った。
「なんで、兄さんが次期当主なんですか」
華女は微かに笑んで、先ほどと同じことを繰り返すだけだった。
「まだ、言えないそうよ」
当主の間から出て、御守りの石を片手に礼太は深く息をはいた。
結局、次期当主にはなりたくないと言わせてもらえなかった。
いや、華女だけに責任転嫁するのは間違いというものだろう。
先ほどの聖のように華女の言葉を遮ってでも、言うことは出来たのだ。
でも、礼太はそれをしなかった。
結局自分は流されていくのかと、自分の意思の弱さを痛感する。
それと同時に、けして認めたくはなかったが、喜んでいる自分が確かにいた。
当主にはなりたくないが、華澄と聖の仕事に同行することができる。
自分は『部外者』ではなくなるのだ。
当主になりたくないと食い下がれば、華女の、ひいては廉姫の意向を覆すことは、不可能ではなかったかもしれないのに。
それをしなかったのは、部外者に引き戻されるのが怖かったからだ。
ひどく打算的な自分に嫌気がさす。
きゅっと唇を噛みしめる礼太の顔を見上げる影があり、礼太は慌てて表情を柔らかくした。
「兄さん、あのね、どうして次期当主が兄さんなのかって聞いたのは、兄さんが当主になるのが嫌だからじゃないよ」
不安げに見上げてくる聖に、礼太はにこっと微笑んだ。
「分かってるよ。聖は優しいから、僕を心配してくれたんだろ」
「……うん」
歯切れの悪い返事にあれ間違えたかなとも思ったが、兄に嫌われたんじゃないかと全身で不安がっているのがわかる聖に、優しさが湧きこそすれ、責めようとは思わない。
「……兄貴、良かったの?」
礼太とほぼ同じ目線で、華澄は心配そうに見つめてくる。
「……今はしょうがないよ。廉姫の意志は固いみたいだし。でも、どう考えたって僕が当主になれるわけないし、そのうちお前たちのどっちかが選びなおされるよ」
「……ってっきとうだなぁ、兄貴は」
声に若干の苛立ちを滲ませながら、華澄は苦々しい笑みを漏らした。
「そういや兄貴、今日は部活ないの」
…………あ。
怒涛の展開のせいで忘れていたが、今日は午後練があるのだった。
二日続けて休むのは気が引ける。
「休みたい………」
「さぼっちまえばぁ」
華澄が笑うと、聖もつられて笑う。
礼太はと言えば、本日何度目かのため息をつくしかなかった。