幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
第一章 奥乃家の子供
明日は土曜日。
同級生たちがつかの間の解放の喜びに浸るこの日は、礼太にとっては一週間で最も憂鬱な日だった。
土曜日は、当主に挨拶するため、親戚血族が本家に集まる日なのだ。
奥乃本家に名を連ねる者として、礼太もその日、屋敷にいないわけにはいかない。
「仕方ないでしょ、しきたりなんだから」
したり顔で礼太を諭すのは二歳年下の妹、華澄。
「だって……部活休まなきゃだし」
妹相手に情けなくも縮こまりながら反論すると、はぁ、と呆れたようなため息が返ってきた。
「諦めて、奥乃家に生まれた者の宿命よ」
奥乃家。
礼太の家は江戸初期から続く名門である。
その権威はこの地方の真髄にまでゆき届いており、長い時間をかけて根をはった地盤は揺らぐことを知らない。
現代社会において、奥乃の名はかつてほどの威力をなしはしないが、しかし本家周辺に住む年寄りは、今も奥乃の名を聞いただけではっと目を見開く。
その異様なまでの反応は、奥乃家がただの大地主ではないことを示す。
奥乃家の本来の稼業はーーー妖退治である。
もとは江戸の商人の息子、一太郎が妖退治の奥乃家一代目、奥乃 善治郎を名乗ったのが始まりと伝えられている。
一太郎は幼少の頃より神通力を操り、何やら怪しいモノと言葉を交わす力を持つ子どもだったらしい。
その力は、奥乃家の血を引く者に今尚、脈々と受け継がれている。
しかし、礼太にはそれがない。
奥乃家の子供は三歳になると妖と戦う術を身につけるため、年長の者に修行をつけられる。
本家の主筋に近い礼太も例に漏れず、三歳から修行をつけられるはずだった。
しかし、礼太の父が早々に、この子は妖と戦う術を身につけることはできないだろうと判断を下し、四歳になるかならないかの頃に修行は中断されてしまった。
そもそも礼太には妖というものが見えない。(一例を除いて)
自分の家がそういうことをしているというのは分かるが、実態を掴めない礼太にとっては、妖など存在しないに等しい。
存在しない相手をこの世から滅することなどできない。
もとからいないのだから。
弟も妹も生まれつき何かこの世ならざるものを見る子どもだった。
二歳下の妹の時のことは覚えていないが、三歳下の弟、聖(ひじり)が赤ん坊だった時のことは覚えている。
まるでそこに何かいるとでもいいたげに、弟の目が宙を行ったり来たりする。
あー、と赤ん坊独特の声でなきながら、弟は空に向かって手を伸ばしていた。
妹も弟も三つになると同時に修行がはじまり、今では立派に退魔師として働いている。
ほんとうに幼い頃は、二人と遊べなくて寂しいなぁとしか思わなかった。
しかし、小学校低学年の頃から少しずつ、礼太の中で育まれてきたのは劣等感。
次期当主は華澄か聖かと謳われる中、礼太は蚊帳の外。
それでも本家に住まう者として、一族の集まりには顔を出さなければならない。
最近は慕っていたはずの父に会うのが少し怖い。
その目が、お前は役立たずだと言っているような気がして。
「奥乃、帰りゲーセン寄ってかね?」
ほどよく日に焼けた顔が実年齢より大人びて見える少年が、間延びした声で言った。
窓が一つしかない更衣室の中は暑い。
たいして風もおきないだろうに手で自分の顔を仰いでいる。
同じ軟式テニス部に所属している同級生、和田 橘だ。
和田と橘って両方苗字じゃねぇかと本人は自分の名前が不満な模様。
「うーん、ごめん。僕帰らなきゃ」
曖昧な笑みで返した礼太に、和田は不満げに頬を膨らませた。
「ええー、今日もダメなのかよ。」
「うん、ちょっと」
さっさと帰らなければ家の人たちがうるさい。
ただ怒るのではない。
なぜ帰りが遅かった、理由を述べなさい、勿論しかるべき理由があるのだろうね。
こういうふうに言い絡めることで、礼太を器用に責めるのだ。
こないだ和田たちとゲーセンに行って遅くなった時も、父の前に座らされて実際以上に何かとんでもないことをやらかしてしまったようないたたまれない気分になった。
「しょうがねぇよ、なんせ奥乃は『奥乃』なんだから」
隣で聴いていた藤川先輩が発した意味深な『奥乃』の響きに、おもわずびくりとする。
「へ?なんすかそれ」
和田がきょとんとして聞き返す。
和田は田が埋めたてられたところに立った新興住宅地の人間だ。
奥乃家のことなど知らなくて当然だ。
「あー、わり。なんでもないよ」
先輩は笑いながら言って、ポンポンと礼太の頭をたたいた。
「まぁ、奥乃には奥乃の事情があるんだろ。駄々こねて困らすなよ」
王子のような風貌に反してやんちゃな乙間先輩が笑いながら和田をからかう。
「なっ、駄々なんてこねてないじゃないすかっ」
ぷぅと頬を膨らませると、大人びた顔もたちまち年相応に幼くなる。
「ごめんね、和田。また今度行こ」
フォローするように礼太が言うと、和田は頬を膨らませたまま、うん、とうなづいた。
部室を出ると、空が夕日の色に染まっていた。
「うわぁ、綺麗だなぁ……っていうより、なんか怖いな」
和田の言葉に、礼太は小さくうなづいた。
赤く仄暗い光を放つ西の空。
深紅の空は数分後の夜の闇を思わせた。
人ならざる者たちが、目を覚ます時間が近づいているのだと、礼太に囁きかけているようだった。