幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
その後も、礼太は華女の言いつけどおり妹と弟の仕事に同行した。


自分のせいで二人は別行動がとれないのだろうかと心配していたが、なんでも奥乃家の妖退治は二人以上で行うのが鉄則らしい。


今は三人だが、礼太は足手まといなので、実質1.5人といったところか。


しかし、それが問題に感じられないほど、仕事はたんたんとしたものが多かった。


家の中で気味の悪い視線を感じるとか、


この階段のこの段から落ちる者があとをたたないとか、


同居している妹の性格が急変してしまったとか、


あやかしの類は一切関係ない依頼がほとんとだ。


華澄が大抵の仕事はふらふらやってりゃどうにかなるとか言っていたのは、あながち間違ってはいなかったらしい。


しかし、子どもが大人相手に仕事をするというのは、けして楽なことではない。


依頼を受けたからには誠意をもって接する……言うのは簡単だが、いやなやつはいるし、思い込みの激しい人もいる。


精神的に参っている人には馴染みの医者を紹介し、ある人には警察に届けることを勧め……淡々とこなしていくということが、これほど神経を削るとは思わなかった。


華女が御守りだと言って渡してくれた安っぽい青い石の出番はまだ一度も巡ってこない。


そんなこんなで、学業と部活と家業の見学の三つを三立させるなかなかに多忙な日々はすぎてゆき、怒涛の次期当主任命から気がつけば一ヶ月が経とうとしていた。















「兄貴、あたしだけど、入っていい?」


その夜珍しいことに礼太の部屋を訪ねてきた華澄は、何やら不安げな顔をしていた。


「いいよ、どうぞ」


図書室で借りた本を寝転がって読んでいた礼太は慌てて起き上がった。


「どうしたの?」


華澄は元来、礼太とは正反対の強気でカラッとした性格をしている。


憂鬱な表情をわかりやすくおもてに出すことなど滅多にないので、礼太は何かあったのだろうかと胸がざわりとした。


「いや、ね。明後日に入ってる依頼のことなんだけど」


華澄は回転椅子を行儀悪くまたいで座りながら、小さくため息をついた。


「依頼主は朝川中学校の校長先生。朝川中学は分かるでしょ」


「…うん」


礼太の通う中学校からは一番近い他校だ。


たしか、小学校の同級の中にも、朝川中の方に行った子が何人かいたはずだ。


それにしても、いったいどういう風の吹き回しだろう。


この一ヶ月、前もって依頼のことを説明してくれたことなど一度もなかったのに。


いつもその日になってわけもわからず連れて行かれ、礼太が聞かなければ華澄は依頼内容について話そうとはしない。


それが今回は、どうも勝手が違うらしい。


「新学期になってから、怪我をする生徒が異様に多い。学級崩壊の兆しが見えるクラスもかなりあって、これは何か悪いモノが憑いてるんじゃないかって、うちに依頼してきたの。話を聞いただけじゃ、単なる学校の問題じゃないのって思ったんだけど、今日下見に行ってみたら………」


華澄は肩をすくめた。


「なんかもう、凄かったわ。わたし門の中には入らなかったのに、内側からの不穏な空気にあてられそうだった。多分、聖だったら軽く目ぇ回してるわね、あの子の方がそういうの敏感だから。」


そういうの、がどういうのかは具体的には分からなかったが、なんとなくなら理解できた。


「つまりは、今回の依頼は、兄貴初の妖退治ってわけ。霊じゃない、本当の妖のね。しかも、かなりでかい。初がこれで大丈夫かよってレベル。吸い寄せられて溜まってる霊も結構いるから、そっちの方も大変よ」


華澄の不安げな顔の理由が分かった。


自分が当主の間で言ったことが、現実となるのを恐れているのだろう。


華澄も聖も、礼太を守りきれない非常事態が起きる可能性のある仕事なのだ。


「だったら、今回は僕は行かないよ。お前たちにそこまで迷惑かけれないし」


引きつった笑顔で言うと、華澄は少し苛立たしげな顔をして首を振った。


「華女さんに、礼太もちゃんと連れてけって釘刺された。うちの真の家業は浄霊じゃなくて妖退治でしょって。ったく、あの人は兄貴が可愛いのか可愛くないのかどっちなんだろ。むざむざ危険にさらすような真似して。」


不安なのと同じくらい、相当頭にきているらしい。


確かに、華女の意向はわけが分からない。


修行と言えば聞こえは良いが、今までの経過を考えるにつけ、ただ単に聖と華澄の負担を増やしているとしか思えない。


この件に関しては、妖退治に行く当の華澄が危険だと判断したにも関わらず、礼太を置いていくのはだめらしい。


胸の中にもやもやとしたものが広がる。


しばらく兄妹揃って渋い顔をしていたが、華澄がぱんっと手を叩いて、再び口を開いた。


「まぁ、しゃあないし、兄貴も今回はそうとうな覚悟しといてって言いたかったの。」


華澄はぴょんと椅子から降りると、畳に座っている礼太の首元を覗きこんだ。


「その家宝だか秘宝だかの青い石っころがホントに役立つのかかなり疑問なことだし、一応兄貴には九字の切り方教えとく」


「くじ?」


「九つの文字で、九字。もともとは中国から伝わってきた護身法らしいわね。でも今から教えるのは攻撃の早九字。多分、アニメとかでちょっとぐらいは聞いたことあるんじゃないかな」


華澄は困惑顔をする礼太の前に立ち、何かを言いながら、二本の指で空を縦に横にと切ってみせた。


「どう?知ってる?」


「いや、全然」


「あ、そう。まぁいいや」


華澄は礼太の机から勝手にノートを取り出し、シャーペンでさらさらと九つの漢字を書いた。


臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前


「ほら、立って。この字を読みながら、わたしがやるのを真似するのよ、いい?」


華澄に腕を引っ張られて立ち上がり、これではどちらが兄なのか姉なのか分からないな、と内心へこみながら、それでも華澄の言うように、九字を唱え、空を縦に横にと切ってみせた。


礼太に数回それをやらせると、華澄は満足げにうなづいた。


「役に立つかどうかは石っころと良い勝負で微妙だけど、無いよりはましでしょ。危険だと思ったら、今みたいに九字を切るのよ。もしかしたら奥乃家の血がどうにか働いてくれるかもしれないし。」


いくらにぶちんな兄貴とはいえ、と余計な言葉を付けたした後、礼太が若干頬を紅潮させていることに気づいた華澄は、兄にうろんな目を向けた。


「……ちょっと、兄貴。なんか喜んでるでしょ」


図星をさされた礼太はうっとつまって、取り繕うようにあいまいな笑みを浮かべた。


だって、役に立つかどうか分からないとはいえ、妖と戦う術を教わったのだ。


これが、普通の男子中学生なら、興奮しないわけはなかった。


華澄はふんっと多いに鼻を鳴らした後、じゃ、乗り気なようだしせいぜい早口で唱えられるように練習しといて、と言って礼太に背を向けた。


「ああ、兄貴。あともう一つ言っとく。」


うってかわって真剣な顔の華澄に、礼太の笑みも消える。


「教えはしたけど、もし逃げることができそうなら、九字を切る前に逃げて。わたしか聖が逃げてと言っても必ず逃げて。……たとえわたしたちが危険な目にあっていても。」


まっすぐな瞳に、礼太はごくりとつばをのんだ。


うなづくことができずにいる礼太に、華澄は暗い一瞥を向け、部屋を出て行った。










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