幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
五分ほど経った。
隣の部屋からの異変が伝わってくる様子はない。
礼太たちは黙りこくって、ただ聖を待っていた。
さらに五分ほど経った後、礼太はこの堪え難い時間についに負けて、口を開いた。
「ねぇ、聖に何かあって、もし何の音もしなかったら、気づけないんじゃない?」
礼太の問いに華澄が静かに首を振る。
「分かるわ。あの子に何かあれば……少なくともわたしはね」
わけが分からん、という顔をする礼太に、裕司がククッと小さく笑った。
「その辺のことに関してはまた教えてもらえよ、この件が片付いたらな」
意味深な言い方に少なからず興味をそそられたが、今は根掘り葉掘り聞くような場合でもないだろうと、再び口をつぐんだ。
パンッと耳を打つ破裂音が視聴覚室から響いたのは、それから一分も経たない時のことだった。
聖のかん高い叫び声が短く聴こえた。
華澄と裕司が物凄い勢いで立ち上がり、華澄はそのまま何も言わず扉の方へかけて行く。
華澄の後を追いかける裕司に続こうと扉へ向かうと、ふいに振り返った裕司に押されて、ドンッと思いっきり尻もちをついた。
痛みに顔を歪める礼太を見下ろして、裕司は冷静な口調で言った。
「お前は来るな、いいか、絶対に来るんじゃない」
それだけ言うと、脱兎のごとくかけて行った。
一瞬、ぽかんとほおけた礼太は、次いで泣きそうになった。
裕司への怒り。
完全にお荷物である自分への怒り。
聖の身に何か起きたのかもしれないという不安。
ぎゅっとこぶしを握り、何とか涙の衝動をやり過ごす。
隣の部屋からは特に大きな音は聴こえない。
話し声も聞こえない。
不安が膨らむ。
ふいに自分がたった一人であることに気づいた。
夜の学校に一人っきり。
それにしても不思議なのは、さっきから後ろに誰かの気配を感じることだった。
その時、礼太の中に恐怖はなかった。
ただ、後ろにある何かを見るために、特に考えもせず自然に振り返ったのだ。
そこには、一人の男がいた。
見た目はどこにでもいる男だが、目は虚ろで、頬には表情の欠片もなかった。
男と目が合う。
ごとり、と生々しい音をたてて、男の頭部が床に落ちた時、礼太は自分の中が真っ白になるのをもう一人の自分が見つめているという、よく分からない感覚を覚えた。
それは、華女が一族の前で、次期当主は礼太だと知らしめた時の感覚に似ていた。
ただ、決定的に違うのは、礼太の中からせり上がってきたのは、驚嘆と戸惑いではなく、純粋な恐怖だった。
恐怖が悲鳴となって家庭科室の中に響いた。
わけが分からないまま、何とか立ち上がり、何処に向かっているのか自分でも分からないまま、廊下を走る。
体は華澄たちのいる視聴覚室には向かわなかった。
ひたすら逆方向へ、兄弟たちから遠ざかってゆく。
まっすぐな廊下には隠れ場所がない。
後ろを振り返っても男の体も頭も見えない。
しかし、このままではつかまると、この時の礼太は頑なに信じていた。
なぜか開いていた二年三組のドアが、礼太には救いそのものに見えた。
走る勢いのまま中に飛び込み、震える手で鍵を閉めた。
へなへなとその場にへたり込み、床をはって壁際の机の後ろに隠れる。
かたかたと震えながら、荒れる息をなるべく音をたてないように必死に整えた。
隣の部屋からの異変が伝わってくる様子はない。
礼太たちは黙りこくって、ただ聖を待っていた。
さらに五分ほど経った後、礼太はこの堪え難い時間についに負けて、口を開いた。
「ねぇ、聖に何かあって、もし何の音もしなかったら、気づけないんじゃない?」
礼太の問いに華澄が静かに首を振る。
「分かるわ。あの子に何かあれば……少なくともわたしはね」
わけが分からん、という顔をする礼太に、裕司がククッと小さく笑った。
「その辺のことに関してはまた教えてもらえよ、この件が片付いたらな」
意味深な言い方に少なからず興味をそそられたが、今は根掘り葉掘り聞くような場合でもないだろうと、再び口をつぐんだ。
パンッと耳を打つ破裂音が視聴覚室から響いたのは、それから一分も経たない時のことだった。
聖のかん高い叫び声が短く聴こえた。
華澄と裕司が物凄い勢いで立ち上がり、華澄はそのまま何も言わず扉の方へかけて行く。
華澄の後を追いかける裕司に続こうと扉へ向かうと、ふいに振り返った裕司に押されて、ドンッと思いっきり尻もちをついた。
痛みに顔を歪める礼太を見下ろして、裕司は冷静な口調で言った。
「お前は来るな、いいか、絶対に来るんじゃない」
それだけ言うと、脱兎のごとくかけて行った。
一瞬、ぽかんとほおけた礼太は、次いで泣きそうになった。
裕司への怒り。
完全にお荷物である自分への怒り。
聖の身に何か起きたのかもしれないという不安。
ぎゅっとこぶしを握り、何とか涙の衝動をやり過ごす。
隣の部屋からは特に大きな音は聴こえない。
話し声も聞こえない。
不安が膨らむ。
ふいに自分がたった一人であることに気づいた。
夜の学校に一人っきり。
それにしても不思議なのは、さっきから後ろに誰かの気配を感じることだった。
その時、礼太の中に恐怖はなかった。
ただ、後ろにある何かを見るために、特に考えもせず自然に振り返ったのだ。
そこには、一人の男がいた。
見た目はどこにでもいる男だが、目は虚ろで、頬には表情の欠片もなかった。
男と目が合う。
ごとり、と生々しい音をたてて、男の頭部が床に落ちた時、礼太は自分の中が真っ白になるのをもう一人の自分が見つめているという、よく分からない感覚を覚えた。
それは、華女が一族の前で、次期当主は礼太だと知らしめた時の感覚に似ていた。
ただ、決定的に違うのは、礼太の中からせり上がってきたのは、驚嘆と戸惑いではなく、純粋な恐怖だった。
恐怖が悲鳴となって家庭科室の中に響いた。
わけが分からないまま、何とか立ち上がり、何処に向かっているのか自分でも分からないまま、廊下を走る。
体は華澄たちのいる視聴覚室には向かわなかった。
ひたすら逆方向へ、兄弟たちから遠ざかってゆく。
まっすぐな廊下には隠れ場所がない。
後ろを振り返っても男の体も頭も見えない。
しかし、このままではつかまると、この時の礼太は頑なに信じていた。
なぜか開いていた二年三組のドアが、礼太には救いそのものに見えた。
走る勢いのまま中に飛び込み、震える手で鍵を閉めた。
へなへなとその場にへたり込み、床をはって壁際の机の後ろに隠れる。
かたかたと震えながら、荒れる息をなるべく音をたてないように必死に整えた。