幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と














やわらかな風が頬をなでる。


遠くで鳥の鳴く声を聴き、青年の口許には自然、笑みが浮かんだ。


宗治郎は木の上で、雅仁が来るのを待っていた。


向かい側には、三人地蔵と呼ばれる三並びの地蔵が穏やかな笑みを浮かべている。


真ん中の地蔵だけ少し小さい。


ここに来るよう約束したのは三日前だが、あの男に限ってよもや忘れたということはあるまい。


しばらくすると、腰に刀を差した若い侍が姿を現した。


背が高く細面で冷そうな大きな瞳、への字に曲がった唇は短気な印象を与える。


「おーい、宗治郎。どこだ」


雅仁は首を傾げ、姿を見せぬ幼馴染を呼んだ。


宗治郎はこみ上げる笑いを押し隠し、慎重に機会を図りながら、ゆっくりと態勢を整えた。


幸いにして木の葉が姿を隠してくれる。


風の音も宗治郎の味方をした。


雅仁には不幸なことに。


宗治郎は雅仁が良い具合の位置に立つのを見て取ると何のためらいもなく飛び降りた。


「わあぁっ!」


突如上から降ってきた得体の知れない何かに、雅仁は間の抜けた声で叫ぶことを禁じえなかった。


尻もちをつき、慌てて腰の物に手をやる。


しかし、目の前でげらげら笑っているのが見慣れた垂れ目の男であることに気づくと一瞬あっけにとられ、次いで顔を真っ赤にして怒り出した。


「お前は阿呆かっ、子どものような真似をして、危うく斬るところだった」


「尻もちをついたお前にやられるほどなまっちゃいないさ」


目に涙すら浮かべながら、宗治郎は雅仁に手を差し伸べた。


「いやぁ、悪かった。いたずらがすぎたようだ。まさかお前がここまで驚いてくれるとは思わなかった」


「お前の阿呆に付き合っておったら心臓が持たんな」


ため息をつきつつも、雅仁は素直に宗治郎の手をとった。







「用事とは何だ。俺もそう暇ではない」


なだらかな山を共にのぼりながら、雅仁は何も話そうとしない宗治郎に不機嫌丸出しで話しかけた。


「まぁ、行けば分かる。お前に見せたいものがあるのだ。」


まだ襲撃をかけられたことに腹を立てているらしい雅仁に、宗治郎は全く気にしていない調子で返した。


「黙ってついて来い。きっとお前は気にいる」


宗治郎のいつものほほんとしたどこか食えない笑みを浮かべている頬が、興奮気味に紅潮している。


「えらくはりきっているな」


宗治郎のいつもと少し違う様子に、雅仁も戸惑っているらしかった。


しばらく歩いた先に、大きくひらけた場所がある。


木々はなく、そこだけ忘れられたように草も生えない。


しかし、今はただの寂しい空地ではない。


宗治郎がこの日のために創り上げた空間がそこにはあった。


雅仁は呆然とそれを見上げ、呟いた。


「美しいな」


「だろう、大変だった」


そこには、美しい桜の大木があった。


やわらかな色の花びらが、風にそよりと揺れ水色の空に映える。


しかし、今は秋。


寒さがちくりと肌をさす、季節。


この大木はただの桜ではあり得ない。


「これは………お前が創ったのか、宗治郎」


にわかに信じ難いとその目で伝えてくる雅仁に、宗治郎はこくりとうなづいた。


「ああ、これは幻の花………幻桜だ」


そっとつむがれた宗治郎の言葉を覆い隠すように、一瞬風がひときわ強く吹く。


枝が揺れ、ふれるととけてしまいそうな花びらが幾らか舞い上がった。


「お前に一番にみせたかった」


ぽつりと呟いて、宗治郎は何とも言えない顔をした雅仁を目にとらえ、思わず吹き出す。


「おかしな顔をするな。笑い死にしたらお前のせいだ、雅仁」


「…………お前は」


あきれた色を宿す目。


宗治郎は雅仁の目が好きだった。


一見冷たいが、その深い眼差しは誰よりも優しさを秘めている。


儚い幻。


それは幸せな夢を見せてくれるものだ。


例えば、冬になっても咲き続けているであろう、幻桜。


例えば今、自分が雅仁と共にあれること。


宗治郎はけして触れることのできない幻に向かって歩を進めた。


『…そうじろう……』


雅仁の呼ぶ声がする。


振り返って笑ってやらなければ。


からかってあきれさせて、また赦してもらうのだ………






















礼太は、ハッと飛び起きた。


時計を見ると、6時30分。


目に焼きつくあまりに綺麗な光景。


しばらくぼんやりとしていて、布団から出られなかった。











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