幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
「………入ってよいと、許しをあたえた覚えはないわ」
低く響く声は、華女の怒りを如実に伝えていた。
礼太は、この叔母がこれほど怒りをあらわにするところをはじめて見た。
切れ長に縁どられた目元からのぞく茶色の瞳は、ぞっとするほど冷たい。
「……勝手に入ったことは詫びる」
父も驚いていることが、手のひらから伝わってきた。
少し冷静になったのか、謝罪の言葉は穏やかに紡がれた。
「兄さんが言いたいことは分かっている。次期当主を選び直せ、でしょ」
「ああそうだ。」
父はそう言うと、礼太の腕をぐいっと引っ張り、袖をまくった。
噛まれたあとが、薄暗い空間の中でことのほか鮮やかに浮かび上がる。
転々とだ円を描く噛み跡とその周りに広がるあざはまるで青紫の花のようだった。
「昨日の仕事でした怪我だ。」
「ええ、華澄から聞いたわ」
「効力を失ってはいるが、これは魔痕だ。下手したら命を落としていた。これ以上はだめだ。力を持たないこの子に、退魔師の仕事に同行させるなんてはじめから無理な話だった。今すぐ新しい『次期』を選び直せ。そうすれば、すべては解決する」
礼太は驚いて父を見上げていた。
自分は、下手したら命を落としていたらしい。
魔痕と言っただろうか。
それがどんなものかは知らないが、父に再び火をつけるくらいには、大変なものなのだ。
華女はしばらく何も言わず、じっと兄を見ていた。
父も、妹を見つめ返す。
ふっと、華女が目をそらした。
「兄さん……それはできません」
「…なぜだ」
静かな物言いは、普段の父に戻っていた。
「いい加減に、わけを話したらどうだ。お前が理由もなく一族の命運を左右する判断を下す奴ではないことは、分かっている。例え、廉姫とやらの命であろうともな。しかし、その理由がわからないことには、私はけして納得はしない。礼太が当主となることを全力で阻止する」
………父さんは、僕が当主になることがそれほどまでに嫌なのか。
わかってはいたが、いざ冷静な口調で言われると今までの比ではなく重みがずしりときた。
当主になりたいわけではない。
しかし、否定されて傷つかないわけではないのだ。
どうして自分は次期当主に選ばれた。
なぜ、華女は理由を話さない。
「華女さん、僕も知りたい」
華女は礼太を見下ろした。
その目に先ほどまでの怒りはなく、悲しげな色に染まっていた。
そしてどこか礼太を哀れんでいた。
「………いいでしょう、話しましょう。しかし、礼太」
華女は礼太の頬にそっと手を添えた。
「貴方にはまだ話せない。話す時ではない」
礼太を目を見開いた。
「……なんで」
「言ったでしょう、まだ話す時ではないの」
礼太は叔母を凝視した。
哀れむような目がひたすら憎らしかった。
「………なんで、なんでなんでだよっ僕のことだよ?僕に一番関わりのあることなんだよ?僕のことなのにっなんで父さんには話せて僕はまだ駄目なんだよっ」
一ヶ月間溜めてきたいろんな感情が爆発した。
あれが役立たずの次期当主だと、本家を訪れる退魔師たちに嘲笑を向けられ、
部活に出られないせいで友達ともうまくいかない。
中途半端な位置に立たされて、華澄と聖のお荷物にしかならないことを思い知らされた。
「父さん、父さんも言ってよ、僕も聞くよ。だって僕のことだもの」
しかし父は首を振り、
「当主の命だ。お前は学校へ行きなさい」
拳を握る手が震えた。
「………へぇ」
口から漏れた声は、自分のものとは思えないほど、皮肉な響きを含んでいた。
「当主の命か。ものすごく使い勝手のいい言葉だね。僕が駄目だって言ってもここまで引きずってきたくせに。」
しかし父の視線は揺るがない。
礼太は急に、自分が駄々をこねる子供のように思われた。
でも、自分が間違っているとは、やはり思わない。
ぐちゃぐちゃになった頭を抱えて、礼太は一人、来た道を戻った。
低く響く声は、華女の怒りを如実に伝えていた。
礼太は、この叔母がこれほど怒りをあらわにするところをはじめて見た。
切れ長に縁どられた目元からのぞく茶色の瞳は、ぞっとするほど冷たい。
「……勝手に入ったことは詫びる」
父も驚いていることが、手のひらから伝わってきた。
少し冷静になったのか、謝罪の言葉は穏やかに紡がれた。
「兄さんが言いたいことは分かっている。次期当主を選び直せ、でしょ」
「ああそうだ。」
父はそう言うと、礼太の腕をぐいっと引っ張り、袖をまくった。
噛まれたあとが、薄暗い空間の中でことのほか鮮やかに浮かび上がる。
転々とだ円を描く噛み跡とその周りに広がるあざはまるで青紫の花のようだった。
「昨日の仕事でした怪我だ。」
「ええ、華澄から聞いたわ」
「効力を失ってはいるが、これは魔痕だ。下手したら命を落としていた。これ以上はだめだ。力を持たないこの子に、退魔師の仕事に同行させるなんてはじめから無理な話だった。今すぐ新しい『次期』を選び直せ。そうすれば、すべては解決する」
礼太は驚いて父を見上げていた。
自分は、下手したら命を落としていたらしい。
魔痕と言っただろうか。
それがどんなものかは知らないが、父に再び火をつけるくらいには、大変なものなのだ。
華女はしばらく何も言わず、じっと兄を見ていた。
父も、妹を見つめ返す。
ふっと、華女が目をそらした。
「兄さん……それはできません」
「…なぜだ」
静かな物言いは、普段の父に戻っていた。
「いい加減に、わけを話したらどうだ。お前が理由もなく一族の命運を左右する判断を下す奴ではないことは、分かっている。例え、廉姫とやらの命であろうともな。しかし、その理由がわからないことには、私はけして納得はしない。礼太が当主となることを全力で阻止する」
………父さんは、僕が当主になることがそれほどまでに嫌なのか。
わかってはいたが、いざ冷静な口調で言われると今までの比ではなく重みがずしりときた。
当主になりたいわけではない。
しかし、否定されて傷つかないわけではないのだ。
どうして自分は次期当主に選ばれた。
なぜ、華女は理由を話さない。
「華女さん、僕も知りたい」
華女は礼太を見下ろした。
その目に先ほどまでの怒りはなく、悲しげな色に染まっていた。
そしてどこか礼太を哀れんでいた。
「………いいでしょう、話しましょう。しかし、礼太」
華女は礼太の頬にそっと手を添えた。
「貴方にはまだ話せない。話す時ではない」
礼太を目を見開いた。
「……なんで」
「言ったでしょう、まだ話す時ではないの」
礼太は叔母を凝視した。
哀れむような目がひたすら憎らしかった。
「………なんで、なんでなんでだよっ僕のことだよ?僕に一番関わりのあることなんだよ?僕のことなのにっなんで父さんには話せて僕はまだ駄目なんだよっ」
一ヶ月間溜めてきたいろんな感情が爆発した。
あれが役立たずの次期当主だと、本家を訪れる退魔師たちに嘲笑を向けられ、
部活に出られないせいで友達ともうまくいかない。
中途半端な位置に立たされて、華澄と聖のお荷物にしかならないことを思い知らされた。
「父さん、父さんも言ってよ、僕も聞くよ。だって僕のことだもの」
しかし父は首を振り、
「当主の命だ。お前は学校へ行きなさい」
拳を握る手が震えた。
「………へぇ」
口から漏れた声は、自分のものとは思えないほど、皮肉な響きを含んでいた。
「当主の命か。ものすごく使い勝手のいい言葉だね。僕が駄目だって言ってもここまで引きずってきたくせに。」
しかし父の視線は揺るがない。
礼太は急に、自分が駄々をこねる子供のように思われた。
でも、自分が間違っているとは、やはり思わない。
ぐちゃぐちゃになった頭を抱えて、礼太は一人、来た道を戻った。