幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
厳しい顔をして礼太を睨みつける少年。


いつもの礼太ならあたふたしてまともな反応もできず俯いていただろう。


しかしその時の礼太の心情は今までにないほど静かで、自分に対して敵意を向けてくる彼に対して何の恐れもなかった。


「普通に登ってきたよ、いけなかったかな」


平坦な声で答えると、希皿の眉間のしわがさらに深くなる。


「迷わなかったのかよ」


「へ?」


「おんなじとこぐるぐる回って出られなかっただろ。どうやってここまで登ってこれた」


礼太は目を見開いた。


どんぐりみたいになった目に真っ直ぐに少年を映す。


「あれって、えっと……慈薇鬼くんがやったの」


「俺じゃない。俺ん家の先祖がやった。強力な結界が張ってある。間違っても妙な奴が迷いこまないように……あんたみたいな」


心底迷惑そうに言われて、礼太はたじろいだ。


魔法から解けたように、おどおどした自分が戻ってくる。


「ご、ごめん。ここって君の家の敷地なの」


「さぁな。それより質問に答えろよ。どうやって入った」


「え、えっと……」


始めはぐるぐるまわってたけど、最後にふっと道がひらけてここに辿り着いた。


しどろもどろと単純な話を要領を得ないまま伝えると、希皿の眉間のしわはますます濃くなった。


じっと礼太を見据え、何か隠してやがったら切り裂いてやると言わんばかりだ。


ふっと希皿の顔から力が抜けた。


どうでもいいや、というようにうーんと伸びをする。


「ま、いっか。結界のどっかがほつれてたんだろ。後で修正しとけばいい話だ。」


急に雰囲気のやわらかくなった少年に礼太が戸惑っていると、希皿はあきれた顔をした。


「なぁ、あんたってさ」


「……なに」


「いっつも泣いてんの」


言われて、礼太はあわてて目をぬぐった。


先ほどまで誰の目を気にするでもなく涙を流していたからさぞや酷い顔をしているだろう。


「こすったら、後で痛くなる」


無表情に戻った少年は、瞳から受ける印象の冷たさとは裏腹の優しい声音で言った。


ふわりと風が花びらを散らし、希皿はまぶしげに空を見上げた。


端正な容貌が際立つ少年が桜の乱舞の中に佇む光景は、まるで日本画の世界に迷い込んだような錯覚を礼太にもたらした。

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