幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
「あり得ない‼」
上座寄りの席でそう叫び、立ち上がったのは父だった。
「華女!何を考えている!礼太が当主などと………っ次期当主は、華澄か聖のはずだ‼」
いつも冷静な父らしからぬ激昂ぶりに、礼太は傷つき、恐怖した。
上座の方にいなくて良かったと、思考の片隅で思う。
「それは兄さんが勝手に思ってらっしゃっただけでしょう?わたしが、『次期』は華澄であるとか、聖であるとか、話したことがありまして?」
平静の調子の華女の話し方は、父を挑発しているとしか思えない。
礼太は一人おろおろしながら、目で母に助けを求めた。
母さん、僕が当主なんて間違いだよね
華女さんが、たちの悪い冗談を言ってるだけだよね
視線の先の母はしかし、困った顔をするだけで、何も言ってはくれなかった。
「……華女、お前が礼太を気に入ってるのは知っている。しかし……礼太は…」
勝彦叔父さんが躊躇いがちに声を上げた。
「我が一族の力を持っていないではないか」
舞禅の間のざわめきが一層大きくなった。
『礼太というのは、役立たずの長男か』
『冗談でしょう、ただでさえ年々力の弱体が危惧されてるのに』
『気まぐれで一族の命運を決められてはたまらんぞ』
興奮した声が礼太の胸に突き刺さる。
「当主よ、お聞かせ願いたい」
静かだが、よく通る声が周囲のざわめきを遮った。
一人の小柄な老人がすっくと立ち上がる。
七尾の当座、礼太の祖父、梅次だった。
「何故、力を持たぬ者を力を持つ者の長に据えようというのだ」
いつも優しい、礼太の祖父から発せられた、礼太を指す『力を持たぬ者』という感情のない三人称に、ふっと涙腺が緩むのを感じた。
今の祖父は祖父ではない。
奥乃を支える三本柱の一人。
頭では分かっているが、ただでさえ動揺した心は別だった。
華女は、老人の威厳ある姿にも一切余裕な笑みを崩さなかった。
心底おかしそうにくすりと笑い、言った。
「皆さん、皆さんとて分かってらっしゃるはずよ。次期当主を選ぶのは当主ではない。ましてや、一族の意向でもない……廉姫であると」
再び、しん、と静寂の波紋が広がった。
廉姫って何?と男の子が母親をつつく。
「……廉姫など、存在しない」
重苦しい口調で言ったのは父だった。
年の離れた兄に対し、華女はきっぱりと首を横に振る。
「いいえ、廉姫はおります。二代目当主、宗治郎の頃より、一族の守り神として、ずっと我らと共にありました。」
「ではなぜ、廉姫は当主以外の目には見えんのだ。当主とて、一族の一端。流れる血は同じ。当主にしか見えない存在など、道理に合わん。………代々の当主は皆、廉姫はいるのだと言う。しかし、私には当主が事を自分の思うように運ぶ為に創り上げた虚像の姫であるとしか思えん」
華女の笑みは一点も曇らない。
しかし、未だ嘗て絶対である当主にこのような口をきいた者がいただろうか。
礼太を含め、一族の者たちはかたずをのんで兄妹を見つめた。
その時、
『お前の父親は失礼極まりないな、礼太』
「うわぁぁああ⁉」
涼やかな少女の声が礼太の耳をくすぐった。
叫び声をあげ、大きくのけぞった礼太は、それまで渦中の存在でありながら目立たずにすんでいたのだが、一気に一族の注目を集めてしまった。
間抜けな顔をして見上げる礼太に、ひとりの少女が可笑しくてたまらないと言うようにくすくすと笑った。
十二単の簡易版のような女房装束に、長い黒髪がそれこそ平安貴族のようなその少女。
彼女は少なくとも畳から10センチは浮いていた。
上座寄りの席でそう叫び、立ち上がったのは父だった。
「華女!何を考えている!礼太が当主などと………っ次期当主は、華澄か聖のはずだ‼」
いつも冷静な父らしからぬ激昂ぶりに、礼太は傷つき、恐怖した。
上座の方にいなくて良かったと、思考の片隅で思う。
「それは兄さんが勝手に思ってらっしゃっただけでしょう?わたしが、『次期』は華澄であるとか、聖であるとか、話したことがありまして?」
平静の調子の華女の話し方は、父を挑発しているとしか思えない。
礼太は一人おろおろしながら、目で母に助けを求めた。
母さん、僕が当主なんて間違いだよね
華女さんが、たちの悪い冗談を言ってるだけだよね
視線の先の母はしかし、困った顔をするだけで、何も言ってはくれなかった。
「……華女、お前が礼太を気に入ってるのは知っている。しかし……礼太は…」
勝彦叔父さんが躊躇いがちに声を上げた。
「我が一族の力を持っていないではないか」
舞禅の間のざわめきが一層大きくなった。
『礼太というのは、役立たずの長男か』
『冗談でしょう、ただでさえ年々力の弱体が危惧されてるのに』
『気まぐれで一族の命運を決められてはたまらんぞ』
興奮した声が礼太の胸に突き刺さる。
「当主よ、お聞かせ願いたい」
静かだが、よく通る声が周囲のざわめきを遮った。
一人の小柄な老人がすっくと立ち上がる。
七尾の当座、礼太の祖父、梅次だった。
「何故、力を持たぬ者を力を持つ者の長に据えようというのだ」
いつも優しい、礼太の祖父から発せられた、礼太を指す『力を持たぬ者』という感情のない三人称に、ふっと涙腺が緩むのを感じた。
今の祖父は祖父ではない。
奥乃を支える三本柱の一人。
頭では分かっているが、ただでさえ動揺した心は別だった。
華女は、老人の威厳ある姿にも一切余裕な笑みを崩さなかった。
心底おかしそうにくすりと笑い、言った。
「皆さん、皆さんとて分かってらっしゃるはずよ。次期当主を選ぶのは当主ではない。ましてや、一族の意向でもない……廉姫であると」
再び、しん、と静寂の波紋が広がった。
廉姫って何?と男の子が母親をつつく。
「……廉姫など、存在しない」
重苦しい口調で言ったのは父だった。
年の離れた兄に対し、華女はきっぱりと首を横に振る。
「いいえ、廉姫はおります。二代目当主、宗治郎の頃より、一族の守り神として、ずっと我らと共にありました。」
「ではなぜ、廉姫は当主以外の目には見えんのだ。当主とて、一族の一端。流れる血は同じ。当主にしか見えない存在など、道理に合わん。………代々の当主は皆、廉姫はいるのだと言う。しかし、私には当主が事を自分の思うように運ぶ為に創り上げた虚像の姫であるとしか思えん」
華女の笑みは一点も曇らない。
しかし、未だ嘗て絶対である当主にこのような口をきいた者がいただろうか。
礼太を含め、一族の者たちはかたずをのんで兄妹を見つめた。
その時、
『お前の父親は失礼極まりないな、礼太』
「うわぁぁああ⁉」
涼やかな少女の声が礼太の耳をくすぐった。
叫び声をあげ、大きくのけぞった礼太は、それまで渦中の存在でありながら目立たずにすんでいたのだが、一気に一族の注目を集めてしまった。
間抜けな顔をして見上げる礼太に、ひとりの少女が可笑しくてたまらないと言うようにくすくすと笑った。
十二単の簡易版のような女房装束に、長い黒髪がそれこそ平安貴族のようなその少女。
彼女は少なくとも畳から10センチは浮いていた。