幻桜記妖姫奧乃伝ー花降る里で君と
生き霊……おぞましい響きだと礼太は思う。


生き霊に関しては、父の講義を受け始めた頃、ちらとだけ聞き及んでいた。


身体が生きているにも関わらず、魂が解離し、本人の意図しないところで徘徊をはじめる。


生き霊の行動原理は、すべからく人が胸の内に隠し、自覚していない負の感情にあると言う。


例えば怒り、例えば憎しみ。


生き霊となり、その自覚がある人はかなり稀である。


祓う対象が生き霊の場合、退魔師は困難を強いられることになる。


なんせ生きた人間相手だ。


無茶をするわけにはいかない。


加えて仕事がうまくいったとしても、生き霊を発生させてしまった本人の人生は続く。


心を病んでしまう人だっているし、家族も大変な思いをすることも多い。


退魔の能力が代々受け継がれていくように、生き霊を出しやすい家系というものがあり、独自に対処する術をもっている家もある。


しかし、突然変異というのは起こり得るもので、そうした場合は、生半可な幽霊騒動ではすまなくなることが多いのだ。


生き霊でなければいいな、とは思うがじゃあ何だったらいいんだと考えると窮する。


退魔師の仕事にめでたしめでたしは少ない。


なにかしら苦い後味がついてまわる。


傍観するだけの礼太ですらそうなのだから、華澄や聖の負担は相当なものだ。


しかし、子供ながらに玄人の二人は生き霊であろうとなかろうと、しかるべき対処をするだろう。


その時、辻家の人々が退魔師を招いたことを心の底から後悔するようなことにならなければいいが。


華澄の小さな背中を追いかけながら、礼太はぼんやりとそんなことを考えていた。


だから、華澄が駆け出した時、一瞬遅れをとった。


本日何度めかに慌てながら礼太も駆け出したが、息が切れるより先に華澄の足が止まった。


首を左右にかしげて、雑草に覆われた先を指差す。


「あれ、何だろ」


目を細めると、苔に覆われた小さな祠のようなものが見える。


「ものすごく古いね、ひび入ってるし」


「ひびなんてもんじゃないでしょ」


華澄の言うとおりだった。


その祠のちょうど真ん中あたりには、深い深い亀裂が走っており、屋根は少し傾いていた。


「いつの時代のものかな。忘れられて何十年も経ってますって感じ」


礼太はそれに近づきながら軽い口調でいった。


口調の軽さとは裏腹に、礼太は妙な気味の悪さを感じていた。


何と言うか、恐ろしく胸糞悪い何かに無防備に近づいているような感覚。


しかし、華澄からの制止はない。


足が自分のものではなくなってしまったようにずんずん祠の方へ進んでいってしまう。


礼太は祠の前にひざまずくと、中を覗き込んだ。


何もない。


昔は何かが祀られていたはずだが、誰かがいたずらに触ってしまったのだろうか。


それとも、ひどい嵐があった時にでも流されてしまったか。


寂れて、もはや意味をなさないその祠は、礼太の目に骸のように映った。


「……いきなり駆け出したからどうしたのかと思った。これ、なんか関係あるの」


辻家の怪異に。


尋ねると、華澄は首を横に振った。


「ごめん……分からない……でも、多分、関係ないと思う」


歯切れが悪い。


礼太は華澄の目の中に怯えを見てとり、戸惑った。





















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