あなたと私のカネアイ
「結愛」
「――っ!」

 わ、忘れてた!
 
「あ、えと……いってきます。あの、今日は、六時半には帰れると……」

 いってらっしゃいのキスは、昨夜上乗せでしちゃったような気がするし、見逃してくれないだろうか。
 そんな変なことを考えていたら、円の手が頬に添えられた。
 ビクッと反射的に身体を引こうとしたけど、彼のもう片方の手が腰に回ってきて引き寄せられる。

「少し、腫れてる?」
「え、あ……」

 涙の跡は、まだ完全には消えてくれなかった。赤みはファンデーションでなんとか隠したけど、やや腫れたままのそこを、円が親指の腹でなぞる。
 なんで、気づくの。

「痛くない?」
「うん……大丈夫」

 でも、ぞくっと痺れるような感覚が身体中を支配する。触れられているのは、ほんの一部なのに……

「無理しないで。いってらっしゃい」
「あっ」

 ちゅっと……円の唇が触れたのは、彼が指で触れていた場所。
 一瞬驚いて目を瞑ってしまったけど、それを開いたら彼の笑顔が見えた。
 いつも、こんな顔で見送ってくれてるんだ……
 今更ながら、朝の攻防に必死で円の表情を見たことがなかったと気づく。

「い、いってきます」

 今日はその攻防がなかったから……
 唇に、キスされなかった。
 なんとなく後ろ髪を引かれる思いを抱え、私は外へ出た。

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