異邦人の集うカフェ(「一緒に暮らそう」番外編)
「店員さんはよそから来られた方なんですか」
 最初、彼女を何て呼ぼうか戸惑った。旅館の女主人でもないのに「女将」と呼ぶのもなんだし、女性に対しても「マスター」という呼称を使っていいものなのかわからなかった。仕方なく「店員さん」などという呼び方をした。お互い名前も知らないし。
 問いかけられると、彼女はすぐに笑顔を浮かべて答えてくれた。
「ええ。そうなんですよ。やっぱり話し方でわかりますか」
 彼女は出身地である中越地方の地名を挙げたが、残念ながら茉実はその名前を聞いたことがなかった。
「お客さんは関東から来られた方でしょう。言葉のアクセントでわかりますよ」
 彼女もたずねる。
「ええ。私は東京から来て、この春こちらの大学の大学院に入学したんです」
「まあ、そうでしたか。それじゃあ、この町には来たばかりだったのですね。どうですか。町には慣れましたか」
「ええ、まあ」
 慣れたといえばいくらかは慣れたし、慣れてないといえばまだ慣れていない部分もある。
「ずい分と難しいお勉強をされているのね。英語の本だわ。数式とか曲線グラフがあるし、もしかしてこれ物理学の本ですか?」
 女主人が茉実の読んでいるテキストに目をやる。紙面にはローレンツ曲線と、その確率密度関数、累積密度関数が記されている。
「いいえ。これは経済学のテキストなんですよ。私の専門なんです」
 専門などと言ってはみるものの、正直、読んでいる茉実にも本の内容の意味は半分くらいしかわからない。
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