涙の跡を辿りて
 少女がいる。
 それはそれは美しい少女。
 白い処女雪の髪は波打ち、少女の背丈よりも長い。その髪に負けぬ白さの肌は、肌理細かく、陶器のようであった。
 瞳は、新緑の緑。白銀の長い睫毛が縁取る春の色。
 その少女は玉座に在り、嫣然と微笑む。
 その笑いは少女のものとは思えなかった。もっと妖艶にして淫靡。どんな娼婦よりも艶かしい。
《ヒトカ》
 少女が名を呼んだ。玉座の下で跪く者の名を。
 誰がその声に逆らえるであろう?
 春の香気、夏の情熱、秋の豊穣、冬の清涼。それら総てを含んだ、その、声音。
 それら総てが、『人間』ではない証明。
《我が女王、永遠を駆ける御方》
 ヒトカは跪いて胸の前で両腕を交差させた。
 武器など持っていない、徒手空拳の身でその姿を拝するという女王に対してのみ取られる礼だ。
《愛い奴。そんなにケセが愛しいか。おお、言わずとも解るぞ。妾を見くびるでない。そなたの幸せは間違いなく妾の許まで届いておった。じゃが、時間切れじゃ》
 女王は笑う。その笑いに苦いものが隠されている事に、ヒトカは気付かない。
《お待ち下さい! 我が女王!!》
 ヒトカの静止に、女王は片眉を上げる。
《そなたにとっての蜜月は終わりじゃ。妾はこう約したはず。『ケセがそなたをシンシンリーに連れてくるまでの間、その一瞬の合間に起こる事柄には目を瞑ろう』と。じゃが愛し児はそなたを連れてきた》
 ヒトカは交差させていた腕で己の胸を押さえた。
 誘われたなら決して断わってはならぬと言ったのは女王だった。
 女王の言葉は甘い蜜。精霊にとっては一分でも一秒でも長く聞いていたいもの。
 だが、告げられた言葉はヒトカにとっては残酷だった。
《そなたが如何にケセを愛おしんでおるか、知らぬ妾ではない。じゃが、ヒトカ、そなたが一番解っておるであろう? もう『限界』であるとな》
《……それでも、それでももし『このまま』を望むのであれば?》
 ヒトカは必死に言葉を搾り出した。
 このまま。ふたり。ずっと。
《解っておる筈であろう? 今のままの生活が続けばそなたは精霊でおることも叶わず、さりとて人間にもなれぬ。神々の定め給うた輪廻から外れたそなたは、何物でもないものへと変わるであろう。それでも、後悔は無いのかえ? 我が愛し児よ、そなたはまだ百十九年しか生きておらぬのだぞ?》
《後悔はありません》
 ヒトカは言い切った。そして笑う。
 それは凄絶な笑み。
 女王は、困った顔をする。
 ケセもヒトカも、ともに『愛し児』。
 ふたり、共に幸せになってもらいたい。だがそれにはどうしたら良いのか。
《そなた、何故ケセを精霊化せなんだ?》
《ありのままのケセを愛しているからです。彼が人間だという事も含めて》
 その時、天啓のように女王の頭に妙案が浮かんだ。
 その思いつきに女王は声立てて笑う。
《……女王? 私の決意が信じられぬと?》
 思いっきり馬鹿にされたように感じて、ヒトカは問う。
 女王はひらひらと手を振った。
《違う、違うのじゃ。そなたの本気、確かに。妾がそなたの言葉、疑った事あったかえ?》
《ならば……》
《ヒトカ、次の雪名残草の盛りにもう一度、会おう。それが妾とそなたの『さいご』じゃ。今はケセの許に戻る事、許す》
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