涙の跡を辿りて
実は手作りで絵本を作るのはコレが初めてではない。
でもあれは何年も前の事だった。ルービック夫妻に捨てられた、ケセの幼い物語。勿論、今、ケセが使っている最高級糊を使った訳ではなく、米粒で糊の代用をしたものだった。その事がばれたケセには一週間夕食が与えられなかった。
木炭で書いた、ケセの初めての絵本。
あれも七歳の時だった。
昔の事を思い出している場合ではなかった。早く進めなくてはならない。
畜生!! 今日雨が降らなければ!
作業の手順は頭に叩き込まれている。
しょっちゅうロトの仕事場へ足を運び、自分の絵本がどうやって作られるのか、ケセは観察していたのだ。
面倒臭い客だろうに、ロトは丁寧に本の各部の名前から、どうやって製本するのかという事までを教えてくれた。
もう書くところはないよな。
奥付には今日の日付を入れた。
では早速糊の登場という訳だ。
だが、糊付けの作業は非常に難しいらしい。
紙がよれたり折り目がついて皺になったら大変だ。だからケセは目の前にある画用紙を見据え、慎重に、大胆に作業を進める。
大丈夫。
ケセの武器は集中力であった。
大丈夫。
もう一度言い聞かせる。
刷毛を手に取り、瞳を金色に輝かせて、ケセは作業に移った。
額に浮かぶ汗を拭う暇もない。
真剣勝負に挑むように心を昂ぶらせている。だが、恐れはない。ケセに失敗はないのだ。
そして、数時間後。
とても素人が初めて作ったようには到底見えないような絵本が出来上がる。
ケセはその絵本をどうしようか迷った。机の中に入らない大きさではない。アイゼックが作らせた机は非常に大きかったから。
だけれども、机の中にしまったのでは乾かないような気がしないでもない。一枚一枚、丸い筒で糊がしっかりつくように紙の上からこすりあげた。今まで作ったどの絵本よりもケセは手を入れた。仕事ではない、だけれどもだからこそ、自分の真価が問われる作品であるような気がしたのだ。
絵本の上に辞書を数冊置いて重しにする。
何とかしてヒトカには知られないようにしないといけない。
吃驚させなくては価値がないではないか。
ケセはヒトカを吃驚させたかった。それも、良い意味で。
仕方ない。立ち入り禁止を言い渡すか。
理由を聞かれたらどうしよう?
そんな事を思った瞬間、ケセは憤然とした。
ここは僕の家だ。
ヒトカの家ではない。
では家主にはそれなりの権限があるという事だろう。精霊の価値基準は知らないが。
そう思って、ケセは糊で散々に汚れた割烹着を脱ぎ、二階の扉を閉めると鍵をかけた。
そして、ケセは踊るように階段を一番飛ばしに飛び降りて行く。楽しげに廊下をつっきり、ケセは居間へ向かった。そして可愛い精霊を抱き締めた。
『恋の歌』、身体と心が奏でる旋律。
翌日の夕食後、居間で、二人掛けのソファに並んで座り、ケセはヒトカに初めてのプレゼントをした。
ヒトカは感激に目を潤ませた。
この絵本が自分のものだなんて。
自分だけの為に、愛しい人が作ってくれたなんて!!
ヒトカには金銀財宝より価値のある贈り物であった。
きれいな絵本かと言われたなら否であろう。
ケセもそれは認める。
素人が作ったにしては良い出来で。
一晩経って、ケセががっかりしたように、この絵本は素人の作品だという事がばればれだった。ロトの製本した絵本とは根本的に何かが違っていた。
そして、この絵本には見た目だけでなく商業用の価値はない。
誰が、ただ手を繋いでいるだけの絵本を買いたいと思うだろう?
手と共に描かれた季節の描写は精霊であるヒトカでさえ溜息をつくほどに美しかったけれども。
ヒトカは最初、ただ、四季の色合いに目を奪われていた。だけれども、ページを繰るたびに片方の手が年老いていく事に気付く。
「ケセとヒトカ?」
問うと、頷いた恋人の前でヒトカは見る見るうちに目に涙を溜め始めた。
でもあれは何年も前の事だった。ルービック夫妻に捨てられた、ケセの幼い物語。勿論、今、ケセが使っている最高級糊を使った訳ではなく、米粒で糊の代用をしたものだった。その事がばれたケセには一週間夕食が与えられなかった。
木炭で書いた、ケセの初めての絵本。
あれも七歳の時だった。
昔の事を思い出している場合ではなかった。早く進めなくてはならない。
畜生!! 今日雨が降らなければ!
作業の手順は頭に叩き込まれている。
しょっちゅうロトの仕事場へ足を運び、自分の絵本がどうやって作られるのか、ケセは観察していたのだ。
面倒臭い客だろうに、ロトは丁寧に本の各部の名前から、どうやって製本するのかという事までを教えてくれた。
もう書くところはないよな。
奥付には今日の日付を入れた。
では早速糊の登場という訳だ。
だが、糊付けの作業は非常に難しいらしい。
紙がよれたり折り目がついて皺になったら大変だ。だからケセは目の前にある画用紙を見据え、慎重に、大胆に作業を進める。
大丈夫。
ケセの武器は集中力であった。
大丈夫。
もう一度言い聞かせる。
刷毛を手に取り、瞳を金色に輝かせて、ケセは作業に移った。
額に浮かぶ汗を拭う暇もない。
真剣勝負に挑むように心を昂ぶらせている。だが、恐れはない。ケセに失敗はないのだ。
そして、数時間後。
とても素人が初めて作ったようには到底見えないような絵本が出来上がる。
ケセはその絵本をどうしようか迷った。机の中に入らない大きさではない。アイゼックが作らせた机は非常に大きかったから。
だけれども、机の中にしまったのでは乾かないような気がしないでもない。一枚一枚、丸い筒で糊がしっかりつくように紙の上からこすりあげた。今まで作ったどの絵本よりもケセは手を入れた。仕事ではない、だけれどもだからこそ、自分の真価が問われる作品であるような気がしたのだ。
絵本の上に辞書を数冊置いて重しにする。
何とかしてヒトカには知られないようにしないといけない。
吃驚させなくては価値がないではないか。
ケセはヒトカを吃驚させたかった。それも、良い意味で。
仕方ない。立ち入り禁止を言い渡すか。
理由を聞かれたらどうしよう?
そんな事を思った瞬間、ケセは憤然とした。
ここは僕の家だ。
ヒトカの家ではない。
では家主にはそれなりの権限があるという事だろう。精霊の価値基準は知らないが。
そう思って、ケセは糊で散々に汚れた割烹着を脱ぎ、二階の扉を閉めると鍵をかけた。
そして、ケセは踊るように階段を一番飛ばしに飛び降りて行く。楽しげに廊下をつっきり、ケセは居間へ向かった。そして可愛い精霊を抱き締めた。
『恋の歌』、身体と心が奏でる旋律。
翌日の夕食後、居間で、二人掛けのソファに並んで座り、ケセはヒトカに初めてのプレゼントをした。
ヒトカは感激に目を潤ませた。
この絵本が自分のものだなんて。
自分だけの為に、愛しい人が作ってくれたなんて!!
ヒトカには金銀財宝より価値のある贈り物であった。
きれいな絵本かと言われたなら否であろう。
ケセもそれは認める。
素人が作ったにしては良い出来で。
一晩経って、ケセががっかりしたように、この絵本は素人の作品だという事がばればれだった。ロトの製本した絵本とは根本的に何かが違っていた。
そして、この絵本には見た目だけでなく商業用の価値はない。
誰が、ただ手を繋いでいるだけの絵本を買いたいと思うだろう?
手と共に描かれた季節の描写は精霊であるヒトカでさえ溜息をつくほどに美しかったけれども。
ヒトカは最初、ただ、四季の色合いに目を奪われていた。だけれども、ページを繰るたびに片方の手が年老いていく事に気付く。
「ケセとヒトカ?」
問うと、頷いた恋人の前でヒトカは見る見るうちに目に涙を溜め始めた。