涙の跡を辿りて
ケセの章5・冬~嵐の訪れ~
 何度も何度も欲望を突き立てては解き放した。ヒトカの華奢な身体に無理がきているのも解っていた。だけれども止める事が出来なかった。
 何度も何度も意識を失い、そのまま抱かれ、事の最中に目を覚まし、いつのまにか快楽の只中にいる事にヒトカが混乱しても、ケセはやめなかった。
 なんという一方的な性愛である事だろう。
 ヒトカが受け入れていなければ『強姦』と言われても仕方ない。
 だが、ヒトカはただの一度も「ヤメテ」とは言わなかった。
 二人はただ、自分達の罪を知っていただけなのだ。
 そして縋れるものはお互いしかなかった。
 乱暴な性愛の影に潜む祈り。
 祈る相手の名を二人共に知っていた。
 だが、その名は囁きにさえ洩らす事出来ず。
 漸く一息ついた時、ケセはベッドの上で半身を起こし、暁の空を眺めていた。
 暁の空など、見飽きるほど見ている。
 だが、今日の空は記憶に深く刻み込んだ。
 ヒトカはベッドの中で気を失っている。起こさなければ起きないであろう。きっと、泥のように深い眠りにとらわれている筈。何度達したか解らない性愛の後である。
 ケセは自分の腰をさすった。少し無理をしすぎたようだ。
 ケセはヒトカが起き出さないように細心の注意を払いながら、ベッドから起き出す。二人の体温で温もったベッドの誘惑は大きかったが、ケセは必死に誘惑を払いのけると、ヒトカの髪の毛に口づけし、素肌にローブを羽織ったまま、部屋から出た。
 沐浴をする。そして一番新しい服を着る。この服を買いに行ったのがそもそもの発端であった事を考えると笑えるではないか?
「行ってくるよ、ヒトカ」
 そう言って、ケセは二人が春と夏と秋と、そしてこの冬を過ごした家から、一歩、足を踏み出した。
 さよならとは言わなかった。
 愛していると言ったら動けなくなりそうなので言えなかった。
 もう一度会えるのだろうか?
 ケセはそうなるようにシンシンリーに祈る。
 そうして、ケセは思い出す。
 最後に口づけた髪の毛は、やはり緑の匂いがした、と。


 事の発端はつまらない事だった。
 本当に、本当に、つまらない事だったのだ。
 ケセがヒトカに外の世界を見せたいと思い、丁度用事もあった事だしと、ヒトカをクーセル村に連れて行ったのだ。
 ひそひそと囁かれる声に潜む毒に、畏怖が混じっている事に気付けなかったのは何故?
 それはケセがクーセル村でいつも毒を注がれるような気分になるから。だからケセの感覚は麻痺していた。人々の視線に耐えられるよう麻痺していた。
 ケセが見せたいのはクーセル村そのものではなかった。パブと、仕立て屋、ちょっとした小物屋だった。
 だが、ケセが一番先に訪れたのは、村長宅であった。
 最も近寄りたくない場所であったのはケセだけでなく、ヒトカにしても同じ事だった。ヒトカはずっと、この邸で奴隷のように扱われるケセを見つめ続けてきたのだから。
 だが、ヒトカが袖を引っ張ってもケセは向かう先を変えなかった。
 そしてルービック氏と対面するとケセはおもむろに金貨の入った袋を差し出したのである。
「これで最後です。十万キュリエ。貴方がたが僕を育てるのに使ったと仰るお金は」
 ケセは小さく息を吸い込んだ。そして繰り返す。
「これで最後です」
「ケセ……温情を、ただ金で買えると思っているのか?」
 嫌らしい笑みを浮かべながらルービックが言う。
「私達がお前を引き取らなければお前は乞食として今頃野垂れ死んでいたというのに?」
「十万キュリエあったら、クーセル村とその辺り一帯の土地がそのまま買えますよ? ご主人様」
「私達はお前を息子のように思っておるのだ。幼い頃苦労させたのも人生の辛酸を知った立派な大人になってほしいが為。そうそう、お前の妹のようなエイシアは今年で十四になる。お前もそろそろ身を固めるには丁度良い頃合ではないか?」
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