涙の跡を辿りて
ケセ達はというと、パブがそんな状態になっているとは夢にも知らず、仕立て屋への道を急いでいた。白の看板に青の踊り文字で店名が描かれたその仕立て屋の扉を押し開ける。
そこでケセは前回来た時に採寸し、作ってもらったシャツとセーター、ズボンを受け取る。丁度二組。シャツは二枚とも白だが、セーターとズボンの色が違うのだ。卵色のセーターに鳶色のズボン、そして苔緑のセーターに黒いズボンを仕立ててもらっていたのだ。
そしてヒトカの為にケセは深緑のモスリンのドレスと膝上までの靴下を買った。
苔緑のセーターに黒いズボンもこのドレスも、ヒトカにはよく似合っている。
仕立て屋の夫人マルゴットは、ケセを好いていない。
だが、彼女は好き嫌いで仕事をする人間ではなかった。
金をもらった以上、最高の仕事をするのが仕立て屋のマルゴットの誇りだったのだ。
「有難う。最高の出来だ」
「いえ、どう致しまして。仕事は完璧に。それが私のモットーですから」
マルゴットは少し微笑めばかなりの美人であるというのに、口元を皮肉に歪めたまま、ケセを見ていた。
ケセはカウンターに自分用の服を置くとヒトカのドレスを持って、ヒトカに姿見の前に立つように言った。そして上からそのドレスをあてがってやる。
「ほらね。僕の見立ては大したものだと思うな。君に良く似合っている」
「嬉しイな、ヒトカのオ洋服」
君?
マルゴットは怪訝に思い、眼鏡を指で押し、ケセを見つめた。ケセは遂に狂ってしまったのかしら? 君だなんて、どうみたってケセ一人しかいないというのに。
大体今年のケセはおかしい。
女用のドレスなんて。
ケセは一人で暮らしているはずだった。少なくともマルゴットの認識の上では。
ケセのことは村でよく話題に出る。
食糧の買い込みだって例年と同じ位の量だ。そんなことまでケセはチェックされている。
一人暮らしのはずだった。
それとも誰か、ケセが通う女でもできたのだろうか。
それこそ有り得ない。そんな女がいたら、この寂しい冬の時期の格好の話題となったであろう。
遂にシンシンリーの怒りを買い狂ってしまったのかもしれないわ。
村長に知らせなくては。大急ぎで!
それにはまず、ケセを追い出さねばならなかった。
しかし、自分の見たものに間違いがあっては大変だ。よく見てから決めよう。
『精霊憑き』か狂人か、どちらにしろマルゴットの手には負えない。
ケセは一人だというのに、何故かドレスを誰かに合わせるような角度で持ち上げている。そしてまるで鏡の前に誰かがいて、その誰かに話しかけているかのよう。
そうっと、マルゴットはケセとヒトカに近づき、鏡を見て。
悲鳴を飲み込んだ。
ナニかがいる──。美しすぎる異形の娘がそこに確かに。
「マルゴット夫人」
ケセが珍しく笑顔で問うたので、マルゴットも引きつった笑顔を返した。彼女はプロの商売人である。スカートに隠された足がかたかた笑っている事を悟らせず、ぴんと背筋を伸ばして答えた。
「何でございましょう?」
「いや、良い出来だと思って。有難う。支払いを済ませよう」
ケセは財布の中からマルゴットが提示した金額に金貨一枚足した金を置いて出た。
ぱたむと扉がしまる。
マルゴットは座り込んだ。足に力が入らず、立っていられなかったのだ。
村長に知らせなくては。
『精霊憑き』だ。間違いない。
精霊に魅入られた人間は、禍事の象徴。
しかし、何と美しい精霊であった事か!
マルゴットは暫くそこから動けなかった。
そこでケセは前回来た時に採寸し、作ってもらったシャツとセーター、ズボンを受け取る。丁度二組。シャツは二枚とも白だが、セーターとズボンの色が違うのだ。卵色のセーターに鳶色のズボン、そして苔緑のセーターに黒いズボンを仕立ててもらっていたのだ。
そしてヒトカの為にケセは深緑のモスリンのドレスと膝上までの靴下を買った。
苔緑のセーターに黒いズボンもこのドレスも、ヒトカにはよく似合っている。
仕立て屋の夫人マルゴットは、ケセを好いていない。
だが、彼女は好き嫌いで仕事をする人間ではなかった。
金をもらった以上、最高の仕事をするのが仕立て屋のマルゴットの誇りだったのだ。
「有難う。最高の出来だ」
「いえ、どう致しまして。仕事は完璧に。それが私のモットーですから」
マルゴットは少し微笑めばかなりの美人であるというのに、口元を皮肉に歪めたまま、ケセを見ていた。
ケセはカウンターに自分用の服を置くとヒトカのドレスを持って、ヒトカに姿見の前に立つように言った。そして上からそのドレスをあてがってやる。
「ほらね。僕の見立ては大したものだと思うな。君に良く似合っている」
「嬉しイな、ヒトカのオ洋服」
君?
マルゴットは怪訝に思い、眼鏡を指で押し、ケセを見つめた。ケセは遂に狂ってしまったのかしら? 君だなんて、どうみたってケセ一人しかいないというのに。
大体今年のケセはおかしい。
女用のドレスなんて。
ケセは一人で暮らしているはずだった。少なくともマルゴットの認識の上では。
ケセのことは村でよく話題に出る。
食糧の買い込みだって例年と同じ位の量だ。そんなことまでケセはチェックされている。
一人暮らしのはずだった。
それとも誰か、ケセが通う女でもできたのだろうか。
それこそ有り得ない。そんな女がいたら、この寂しい冬の時期の格好の話題となったであろう。
遂にシンシンリーの怒りを買い狂ってしまったのかもしれないわ。
村長に知らせなくては。大急ぎで!
それにはまず、ケセを追い出さねばならなかった。
しかし、自分の見たものに間違いがあっては大変だ。よく見てから決めよう。
『精霊憑き』か狂人か、どちらにしろマルゴットの手には負えない。
ケセは一人だというのに、何故かドレスを誰かに合わせるような角度で持ち上げている。そしてまるで鏡の前に誰かがいて、その誰かに話しかけているかのよう。
そうっと、マルゴットはケセとヒトカに近づき、鏡を見て。
悲鳴を飲み込んだ。
ナニかがいる──。美しすぎる異形の娘がそこに確かに。
「マルゴット夫人」
ケセが珍しく笑顔で問うたので、マルゴットも引きつった笑顔を返した。彼女はプロの商売人である。スカートに隠された足がかたかた笑っている事を悟らせず、ぴんと背筋を伸ばして答えた。
「何でございましょう?」
「いや、良い出来だと思って。有難う。支払いを済ませよう」
ケセは財布の中からマルゴットが提示した金額に金貨一枚足した金を置いて出た。
ぱたむと扉がしまる。
マルゴットは座り込んだ。足に力が入らず、立っていられなかったのだ。
村長に知らせなくては。
『精霊憑き』だ。間違いない。
精霊に魅入られた人間は、禍事の象徴。
しかし、何と美しい精霊であった事か!
マルゴットは暫くそこから動けなかった。